『やさしい』世界/ここが日常 2022/04/12~2022/05/08

ほさきから、404 not foundへ

2022/4/12(火)

404さんから日記を受け取った今日はちょうどうさぎ達三匹とお出かけしていたので、うさぎ達へのメッセージにうさぎ(小さくない方)が出先でぷんぷんしていました。いわく、『われわれは重くない、ただかわいいだけなのだ』……そうです。
うさぎとしてはすあまが来てからというものの、もちぬしがすあまばかり贔屓しているように見えるそうで、こちらも否定できないところがあるのが難しいところです。ちなみに小さいうさぎはどういう展開になっても自分が置いてけぼりになることはないだろう(サイズ的な意味で)と確信しているので悠然としたものです。それはそれでどうなんだろう、ともちぬしとしては思いますが。すあまは常にのほほんとしています。

桜もそろそろ終わりですね。気温もぐんぐん上がって、平均気温28度の日に桜吹雪を見るという妙な日もありましたが、今はすっかり新緑がメインです。今日、うさぎ達と行った初めてのカフェには大きな窓があって、窓の向こうに日に透けた木々の緑が見えていました。店内には404さんのように文庫本を取り出してコーヒーをおともに読書にふけっている人が何人かいました。
薔薇の蕾もずいぶん膨らんできました。薔薇のようなつやつやした葉が日の光を反射しているのを見ると、光合成でおなかいっぱいなんだろうかと思ったりします。

おなかいっぱいのうさぎ達。

そうそう日記、わたしも書いてます。ただし紙の日記は何度か挑戦しては失敗しているので、春頃から十年日記のアプリを使って書いています。何もしなかった、と思うような日でも案外何かしているな……と思えていい感じです。本当は万年筆で日記を書くのに憧れてはいるのですが、どうも習慣になってくれません。

2022/4/13(水)

前回の日記で井上荒野さんの『生皮』についての感想めいたものを書いていたな……と読み返していたらプロジェクト「短歌・俳句・連句の会でセクハラをしないために」 がnoteの記事を更新していて、なんだかすごいタイミングだなと慄きました。
タイムラインでは映画や芸能界の世界では監督による性加害の告発がされているとのニュースも流れてきていて、くらくらします。そういう時期なのだ、と言われればそうなのかもしれませんが、metooという言葉が流行っていた四年前にもそんなことを思った気もします。

お昼のテレビ番組『Daigoも台所』を月曜からちらちら観ています。慎重に慎重にねぎを切ったり調味料を計ったりしているDaigoさんとそれを常に肯定してくれる講師の方のやり取りを見ているとなんだか笑ってしまうような、頷きたくなるような。平和な世界です。

2022/4/14(木)

昨日は軽い熱中症で頭痛までしていたというのに、今朝は冷たい雨の降る、冬っぽい朝です。気温は十度以上も下がり、しまいかけのニットを引っ張り出しました。404さんのおうちはこたつ布団をもうしまったようですが、大丈夫でしたか?

404さんの書かれていた『sky』の話、そんなことがあったんですね。中国と韓国の関係については以前、宋~元の時代についての本をちょっと読んだことがあるのですが、これが陸続きの苛烈さかとびっくりした覚えがあります。対する日本は中国・韓国との関係や影響という意識が妙に抜けているというか、見えにくい気がします。もちろん遣唐使の話などは授業でも出ているのですが、例えば日本の奈良・平安時代の服装が中国のそれの影響を受けているとわたしがはっきり認識したのは結構後だった気がします(わたしが鈍いのかもしれませんが)。『sky』の話のように、韓国において中国ないしは中国文化がもっと緊張感のある、抜き差しならない関係の存在になっていると思うのですが、それに比べると圧倒的に「遠い」。

『由来』といえば最近のニュースでボルシチがウクライナ料理として紹介されるのに個人的にはずっと首をかしげています。ウクライナ支援のニュースという文脈の中にあるからそうなるのだろうなと頭ではわかるのですが、そうした表現がより分断を生むのではないか、という気がしてしまうのです。その一方で日本に来た『避難民』についてのニュースは、やってきたウクライナの人たちのために日本人が色々な課題はあるものの様々な努力をしているといった話ばかりに思えて、だんだん見ていて気味が悪くなってきました。単純でわかりやすい、優しい日本人だけがいるわかりやすい世界。もちろん、援助がないほうが良いということではないのですが……。前回の日記の頃から、ウクライナに関するニュースには一部モザイクがかかるようになり、制圧という言葉も出るようになってきました。

帰宅したら「短歌・俳句・連句の会でセクハラをしないために」クラウドファンディングのリターンのパンフレットが届いていました。中身を読むのは明日にしようと思います。


2022/4/16(日)

今日はイースター、ということはつまり、うさぎの日といっても過言ではないのでは?とうさぎに主張されたので、三匹一緒に連れてお出かけしました。最近は頭上ではハナミズキとモッコウバラが、足元ではタンポポやチューリップ、ムラサキダイコンが花盛りです。なお、薔薇にはアブラムシがびっしりと付きはじめる時期でもあります。お目当ての喫茶店は人がいっぱいだったので諦めたのですが、隣駅の方まで散歩したらお寿司のピクミンの鉢植えを拾うことができました。

「文学界に性暴力のない土壌を作りたい」ハッシュタグがものすごい勢いです。
この話題については、こんなにも勢いがあるのだから今度こそ期待していいのではないか/いや四年前だって、という思いと、そもそも自分だってずっとこの問題について働きかけていたわけではない/自分だって加害者でもあったではないか、という思いがいつもぐるぐるします。これに加えて、いろんなことを思い出したりもしますし……。404さんが書かれていた、何かが起こってしまったら起こってしまったあとを過ごしていかないといけないというのは本当にそうで、その結果所属していた場所を去らざるを得なかった人のことを思うと空しくなったりもします。他人事のような言い方になりますが、一つの問題にずっと取り組まれている方は本当にすごいな、といつも思います。社会運動とは長い旅のようなものだという言葉を以前見かけたことがありますが、だとしたら高低差がずいぶんある旅だと思います。

とはいえ、春なので色々先の予定も入ってきました。まずは羊を食べる会ですね。


404 not foundから、ほさきさんへ

2022/05/05(木)

日記を受け取ってから、なかなか書き出せずに時間ばかりが過ぎてしまいました。本当にごめんなさい。

4月の後半はなんだか変なお天気続きで、寒くなったり暑くなったり、この時期にこんなに雨が降るものだったかなあと思っていました。気候の変化に身体がついていけず、なんだかぐったり過ごす日が続いていました。

ゴールデンウィークはタブレットで絵を描きたいという伯母の家へ行き、セットアップから基本的なソフトの使い方までレクチャーしたのですが、伯母がとにかく元気で。そのエネルギー量の多さに負けて、わたしは帰ってきてから数日寝込んでしまいました。70歳を越えてなおあの元気はすごいし素晴らしいことだとも思うのですが、自分もあんな風に元気に生きられるかというと、そんな風にはとても思えず。

やりたいこと…というよりもやらなければならないことがまだ山積みで、一つずつなんとか片付けたいと思っているのですが、腰が重たいままです。『疲労社会』(ビョンチョル・ハン著)の続きも読みたいのですが、気持ちが上向かず読み進められずにいます。

まあそれでも羊を食べに出かけられたのはよかったです。またあったら一緒に行きましょう。


2022/05/06(金)

今の会社に移ってもうすぐ5年になります。繰り返し書いてきたように悪い会社ではないのですが、最近わたしはそもそもこの仕事がさして向いていないのかもしれないなあと思っています。とはいえ他にできることもないので続けるしかないと思ったり、この感じは別の会社に移ったからといって解決できるものでもない、むしろ悪くなるだけだろう、とも思ったり。

自分自身が、現在の社会のデザインにまったく適応できていないことはわかっていて、それでも頑張らなくてはと細かい部分で戦ってきたと自分では思っているのですが、ここにきてどっと疲れが出ているように思います。理不尽だと思ったことについておかしいと指摘し、繰り返し説明したり、その説明に対する反応に傷つく経験をもうあまりしたくないな、と思ってしまい(そんなのは無理なのですが)、守るほう守るほうへ傾いていってしまっているようにも思います。何かを話すときにも正直に、オープンに、とはいかず、わたしの感じ方にも問題があるのかもしれませんが、と前置きをしながら訴えるようなことが増えたことで、より一層疲れているのかもしれません。

思い通りにはならない。ならばせめていいように利用されることからは遠く離れて、少しでも楽になりたいなと思います。


2022/05/07(土)

真彩希帆さんのファンミーティングに行ってきました。これまで宝塚のお茶会なるものにも行ったことがなく、ファンミーティングがどんなものであるのかもわかっていなかったのですが、想像していたものとは少し違っていました。歌を聴けるのかなと思っていたので、1時間半おしゃべりのみ、ということに驚きました。ホテルの宴会場?というか、なんだろう、披露宴とかやるホールでの開催だったこともあり、余計に不思議な味わいでした。

個人的におもしろく思ったのが、宝塚市にあるらしいパティスリーの焼き菓子のセットがお土産として配られたことです。それこそ引き出物みたいなかんじで……変な話ですが、宝塚歌劇はやっぱり宝塚という土地と紐づいているものなのだと感じました。土地に還元する仕組みができていることに新鮮な驚きを感じてしまって。

最近こういう、昔からあるのであろう仕組みを目の当たりにするたびに、日本の社会(世間)というものはこういう風にまわってきたのかな、と感じてしまいます。それの良し悪しは保留ですが、「経済を回す」という語りを思いだしては、なるほどこれが、と思ってしまったのです。経済とはお金の流動だけの話ではなく、人も動けば物も動くし、生活も動く、という日々の暮らしの動きの話でもあると思うのですが、結局は競争の原理のみで動いたり、成果を独り占めするようでは豊かにはならないのだなとも思います。あと「経済を回す」ことをやっぱり「お金を使う」ということでのみ語ったり、捉えないほうが良いとも思ったのでした。「お金を使う」という行為の話ではなく、何かしらの活動の結果、お金も動く、という話であって、まずは人間の生活をどう営むか、営める状況をどう作っていくか、というところが主眼であると思います。

それにしても、最後にお見送りがあったのですが、1メートルの距離を通ることの緊張といったら。ちょっと距離が近すぎて、わたしは耐えられないなと思ったのと、今後このような機会があったならもう少しはきれいにしないと……と思ったのでした。自分なりにきれいにしていったつもりではありましたが、認識が甘いのでは……と謎に反省してしまいました。


2022/05/08(日)

82年生まれ、キム・ジヨン』の映画をやっと観ました。作られたお話しではなく、身近な日常だなあと思ってしまったことがつらかった。

明日から本格的に仕事が再開です。500日くらい休みたい。



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