どこまでが故郷であったか/もち、萌ゆ 2022/03/10~2022/03/27
ほさきから、404 not foundへ
2022/3/10(木)
……そして現代世界の宗教地図を一目するならば、国際世論形成は圧倒的に正教よりもカトリック・プロテスタント連合に有利なことが瞭然とする。(『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』米原万里、2001年)
2022/3/15(火)
自分の国の勝利を願うか敗北を願うかと訊かれたら、生まれ故郷を愛する者は、おかしな質問だと思うかもしれない。だが自分の生まれた国が百余年もの間、その国の民も他の国の民も、苦しめ続けているとしたら。そもそもここに暮らす者には、もはや、いくら考えてもわからないのだ――どこまでが故郷で、どこからが体制なのか。
(『ウクライナとロシアの未来──2022年のあとに|ミハイル・シーシキン/奈倉有里訳』より。原文では”故郷””体制”に傍点)
どこまでが故郷でどこからが体制なのか、という言葉を読みながら、愛国心教育の議論を思い出していました。もう十五年近く前になりますが日本で義務教育の内容に愛国心に関する事項を含めるべきかどうかという議論がされた際、郷土を愛する心というのは誰でもある自然な心情だ、というような趣旨の言葉が、賛成側からも反対側からも繰り返されて、なんだかずっともやもやしていた記憶があります。わたしとしてはいや「郷土」と言われても、「自然な心情」と言われても……というのが正直なところだったのですが、どこまでが「そう」なのかわからない、という言葉に改めて大きく頷きたくなったのでした。簡単に切り離せるものなどではない。
自分のルーツとなる国、あるいはその国の国旗や国歌が忌まわしい歴史を持っていることは知っている、だからと言ってその国にまつわるもの全てを悪であるとばっさり切り捨てることもできない、というジレンマはロシアに限った話ではない……というより、わたしの住んでいる国でも起こっていることです。けれど国家というものは常に虚構なので、政府はそこを結び付け囲い込もうとする、のではないか。
ダミアン・ハーストの桜の展示を見てきました。作品説明のプレートのない、大きな桜の絵だけが飾られた空間はお花見のようでもあり、大きな屏風絵の飾られたお寺の中のようでもあり。見る角度や距離によって見え方が違うので、どの桜が好きか、鞄の中のうさぎ達と話しながら展示室を歩いていました。イギリスでよく見られる桜には緋寒桜と交雑した、ピンクの濃い品種があるといいます。
2022/3/17(木)
2022/3/19(土)
404 not found から、ほさきさんへ
2022/03/23(水)
我が家のプリンタニアニッポンは最近「もち」と呼ばれています。この名前にする!と決めたわけではなく、コミュニケーションの結果、とりあえず「もち」と鳴くので、「もち」と呼んでいます。このまま「もち」って名前になっちゃうのかしら……。
yenさんたちの生餅会の様子を見て衝撃だったのが、みんな思い思いのおしゃれをしていることでした。我が家でも「この子にも何かつけたら?」と言われたのですが、イケてるなにか(?)が皆目わからず、頭を悩ませているところです。かっこよくてすてきなものが良いです、という圧だけはびしばし感じています。
さて、話は変わりますが、先週わたしは自分に限界を感じて、1週間ほぼほぼ休みにして過ごしました。休みがとれた喜びで、興奮状態だったのか、休日のはじまりには買い物に出かけたり、博物館に行ったりとしたのですが、三日目にどっと疲れていることを実感し、そこからはもうワクチンを打ちに行った以外は寝ていました。せっかくの休みだったのに、と思いつつも、少し本を読む時間をとれたのはよかった。
ここ数日、わたしは日本における「世間」なるものに興味があって、それに関する本を読んでいました。
世間という言葉は「世の中」と同義で用いられているが、その実態はかなり狭いもので、社会と等置できるものではない。自分が関わりをもつ人々の関係の世界と、今後関わりをもつ可能性がある人々の関係の世界に過ぎないのである。自分が見たことも聞いたこともない人々のことはまったく入っていないのである。(『「世間」とは何か』阿部謹也、1995年)
この本は「社会」というものはそもそも西洋の「個人」という概念を前提にしているが、果たして日本にどれだけその「個人」という概念が根付いているか、というところからはじまります。
わたしはこれまで「個人」も「社会」も存在する、と信じて過ごしてきたわけですが(あってほしい、とも思ってきました)、自分が思っているよりも「個人」も「社会」も、わたしの暮らす国においてはおぼろなもので、実際にあるのは身近な関係という「世間」的なものだけだったのだろうか、とぼんやり読んでいます。この本自体が30年近く前のものなので、今はもう少し違うと思いたいのですが……。
そしてその「世間」が戦時には一気に国単位になるのだとも感じていたところでした。突然身の回りの関係性が、大きく、広く、そして雑になったように感じる。
それこそyenさんのいうように日本はいま「西側」にいて、日本に暮らすわたしもまた「西側」にどんどん同化していっている気がしてしまいます。中立ではいられないのはそうでしょう。ロシアのウクライナ侵攻が間違っているのもその通りですし、今すぐやめてほしいと思っている。だけれど、わかりやすい武力での攻撃をしていないだけで、経済制裁も戦争の一部であるのだと感じています。
2022/03/26(土)
散歩に出かけました。眼鏡の調整をしてもらい、お昼ごはんを食べて、喫茶店で本を読んで、あと友人に手紙を書いたりしました。
コロナ禍にやりはじめた遊びのひとつに喫茶店での読書があります。
今まであんまり知らないお店に入るのも、知らない人が多い場所も苦手で、避けていたのですが、元気が出てきたのか、できるようになってきました。これまで単純に仕事に疲れていただけだったんだわ…。
喫茶店での読書はすごく楽しくて、周りの微かな話し声なども心地よく、それぞれが好きに自分のやりたいことをやっている景色も良いですし、月並みですが、いつもしあわせな気持ちになります。
2022/03/27(日)
夜、NHK BSで、「開き始めた衣装箱〜伝統服に揺れる多民族国家・中国〜」をやっていました。
2003年ごろ、ある一人の男性が漢服を街で着てみたことがはじまりで、次第に中国で漢服ブームが広まり、復興を求める声も広まっていったそうです(ただその人自身はたいして「復興」というような文脈では考えていないようにみえました。ただ素朴に着たかったし、民族衣装が欲しかった、というかんじで。わたしはチャイナドレスがいわゆる民族衣装だと思っていたのですが、あれは満州服に西洋の要素を取り入れたものだそうです)。
今はたくさん関連のお店も出店されて、都市部の中流~富裕層の90年代以降に生まれた世代のなかでちょっとしたブームになっているようなのですが、その中の一部には強硬なナショナリストがいることが紹介されていました。
中国共産党員で軍を退役したという人が、過剰な民族主義に傾くことに危機感を覚え、インターネット上でパトロールをしていると話していました。その取材も、自宅で行うことには危機感を覚えたとのことで知人の家で行われていたのですが、わたしは最初、「えっ、誰から? まさか国から…?」と安易に考えてしまったんですね。ですが、実際は、ナショナリストから狙われることを恐れているようでした。
つまり、中国はやはり多民族国家で、政府としては特段、漢服復興を推し進めているわけでもない、ということがわかり、興味深く見てしまったのでした。中国はやはり絶妙なバランスで成り立っている国なのだと思いました。日本だったら、和服をもっと広めよう、日本人の和のこころ! とか、政府がやりそうな気もしてしまったんですね。これはイメージの話ではありますが。日本にも、アイヌの人も、沖縄(琉球)の人も、それから在日コリアンの人も、それ以外にも、たくさんの国出身の人が暮らしていますが、多民族国家であることの自覚の有無……なのかなあ、と思ったりもしていました。
とはいえ、わたし自身、和服不在の世界には行ったことがないので、民族衣装が欲しいと思う気持ちの切実さは本当の意味ではわからないだろうとも思うのでした。自分が普段、着ないだけで、一応「民族衣装」と呼ばれているものは在るのだよな、とも。