花散らし / どこの岸 2022/03/29~2022/04/11

ほさきから、404 not foundへ

2022/3/29,30(火、水)

404さんのおうちのプリンタニア、意思が強そうな顔をしていると聞いてはいましたが予想以上の強さで笑ってしまいました。ちなみに生餅会の写真ですが、紫のお花をつけているAさんのすあまは、写真撮影後はすぐにお花を外され、もちもちされていました。あのお花はプリンタニアのウエスト(?)をきゅっと締めあげてしまうみたいです。

わがやのすあまは家にやってきた当日はうさぎ達に取り囲まれて怯えた顔をしていましたが、最近はすっかり仲良しです。というより、うさぎとはいろいろと思考回路が大きく違うため、うさぎ達からはなんだか不思議な子だなあ……まあいいか……という目で見られているようです。とはいえ、それはうさぎ同士の関係でも同様な気もするのですが。
うさぎ達とは仲良くなってもすあまが怖がりなのには変わりなく、先週末から花盛りの桜の花も、曇天の影響もあってか、どこか怖がっているような目で見上げていました。春休みのせいか近くの桜が多い公園は、週が明けても人出の多さが続いています。花の下で食事をする人はすっかりいなくなったので蜜を吸う鳥が我が物顔で花を散らしていて、これはこれで桜や鳥にとってはよいこと、なのかもしれません。

そういえば近所の公園では週末、桜の下で漢服を着ている女性二人が写真撮影をしているのを見かけました。『陳情令』の衣装のようなすらっとしたスタイルの服が漢服だとわたしは認識しているのですが(画像検索の結果を見るにそうかなと思うのですが、合ってますよね?)、その日見かけた二人は腰までの丈の、張りのある生地でできた鮮やかな色の上着を上に着ていて、そうすると韓国の民族衣装のシルエットにも近い印象があって驚きました。
ちょっとしたポーズをとるだけでなく巻き物を広げてみたり日傘を持ったりと小道具もいろいろ出しつつ撮影をしていて、通りがかった老婦人がきれいね、初めて見たわ、beautiful!と声をかけていました。

桜の下でポーズをとるうさぎ。


テレビでは4月からの値上げ、急激な円安について報道が続いています。夜のニュース番組で経済評論家の人が春からの値上げ対策について、特売で安く売られている野菜などを買うこと、と言っていて、さすがに突っ込みを入れたくなりました。

2022/4/1(金)

年度最初の日が金曜日ってどうなのかしらと思いつつ、じゃあ一体何曜日ならよかったのかと考えてみても、いや曜日というか年度切り替え自体が疲れるし嫌なんだという結論しか出てきません。オンラインではエイプリルフール企画があちこちで流れてきますが、なんだかみんな、どこかで既に見かけたようなことをしているような気がします。たぶん、エイプリルフールが面白い日、というよりは世の中の価値観(差別意識)が露わになる日になっていて、その価値観というものがあまり変わっていないから疲れるのでしょう。
曇天続きの空もようやく晴れて暖かくなり、ようやく青空の下の桜が撮れました。お花見は今週末がピークになりそうです。

鏡に映る顔がなんとも『もっさあ』としていたので、昨日は久しぶりに美容院へ行ってきました。常時マスク着用、かつ飲み物が提供されなくなったので、美容院へ行くことは以前より体力勝負の仕事になった気がします。コロナ以前より自分の服や顔を見なくなっている気がしていてこの手のことへの億劫さにも拍車がかかっている気がするのですが、とはいえ終われば頭もすっきり軽くなるし、ついでにかわいいお店とかのぞいてみようかなと思ったりするのだから現金なものです。
先日ケネス・ブラナーの『ベルファスト』を見てきて、監督はパンデミック下のロックダウンの中でかつて幼いころ住んでいた北アイルランドのベルファストでの日々を思い出したとパンフレットに書いてありました。わたし自身は今のウクライナの状況を重ねてしまいましたが、「どこへも行けない、ここにいては先がない」という感覚が内戦やパンデミックでは共通するのだろうかと考えていました。のっぺりとした日々の中、日常に「自分にとって」新しいものを見つけるような行為が上手くできるようになりたいとはコロナ前からたまに思うことではありましたが、現状ではより必須の能力になってきている気がします。

ところでもちぬしはすあまとうさぎ(大・小)の三匹をいつまで一緒に連れてお出かけしないといけないんでしょうか、そろそろ交代制とかにしてみませんかとうさぎ達に聞いてみたところ、聞こえないふりをされました。

2022/4/3(日)

三寒四温とか寒の戻りとは言うけれどそれにしたって限度がありませんか、と言いたくなるほどに、寒くなったり暖かくなったりの繰り返しです。近所の家の生垣からも赤い葉が寝癖のようにひゅんひゅん飛び出しているなあと思ったばかりなのに、今朝は冷たい雨が降っています。

井上荒野『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』が今日までオンラインで全文無料公開だというので読みました。冒頭すぐに出てくる、カルチャー教室で小説を教える男性講師を囲んだ生徒たちとの飲み会シーンの描写にうっとなってしまって、その後殆ど流し読みのようにして読んだのですが、それでも凄まじかった。小説の講師のかつての性的加害とその告発を中心に複数の語り手から語られる物語ではあるのですが、別にこれは小説だけの話であるはずもない、この分野でも、この分野でも……と描かれていくこと、あれは同意では『なかった』と思い出すこと、周囲の反応、SNS……。性的被害の描写はもちろん辛いのですが、性的加害を行う芸術の『師』をずっと慕ってきた女性たちが、彼を失って途方に暮れる描写も同じくらいにきついものがありました。


404 not foundから、ほさきさんへ

2022/4/6(水)

yenさん、你好! 桜ももうすぐ終わりですね。寒くなったり初夏のような暖かさになったりで、温度差に体がびっくりしています。

会社に新しい人が入ってくれることになったので(念願の人員増でうれしいです)、今日は店舗までパソコンを受け取りに行ってきました。近ごろはパソコンを注文しても宅配便だと届くのに数週間程度の期間を必要とすることが多く、それが半導体不足の問題なのか、物流の問題なのか、どっちかわかりません。ただ、これまでが便利すぎただけかもしれません。注文して数日後には手元に届く、ってやっぱりちょっと異常ですよね。

街は人でにぎわっていたように思いましたが、もうどのような風景が「これまで通り」や「元に戻った」というのかわかりませんでした。そもそも時間は遡らないし、きっと元に戻ったように感じても決定的に失われたものがあるだろうとも思い、その変化が見えないかんじにひりひりとした気持ちになりました。

帰る道すがら、ロフトに寄ってノートを買いました。やったことの記録をただつけていくためだけの。新書サイズでどこにでも持ち歩けそうなので、このノートとしばらく過ごしてみようと思っています。

2022/4/9(土)

友人に会うついでに、冬のあいだ放っておいた片付けへでかけました。自分の中でこの片付けが終わらないとなかなか次に行けない気持ちでいて、GWにはきちんとひとつ区切りをつけたいなと思っています。

そうそう、漢服なんですが、日本でも撮影している人とかいらっしゃるんですね。見てみたかった! ドラマの服装はちょっと、いやかなりファンタジーが入っている部分もあると想像しているのですが、yenさんがイメージしているもので概ねあっているはず……?
漢服に対して中華圏でも「いったいいつの時代の?」という問いかけはなされているようです。記事によって明代とあったり、唐代とあったりするので、そのあたりは定まっていないのかもしれません(商業的に展開されている部分もおおいにあるので、ふわっとしている部分もあるのかもしれません)。

韓国の民族衣装(韓服)も、日本の和服も元をたどれば、という話ではあるのですが、韓国と中国の間では民族衣装をめぐってここ数年、かなりセンシティブな議論になっていると聞きました。というのも、韓服は明代の服飾に起源があり、それを発展させてきた歴史があるとのことなのですが、その明代という部分を取り上げて、韓服もまた中国の文化であると主張する人がいたりするのです。

少し前のことですが、ゲームの『sky』の中でも、いわゆる韓国の時代劇で出てくるような、大きなマチの黒い帽子について、それがどこ風(どこ由来)のものか、という点で問題に発展してしまったケースがありました。ユーザーの間では当初、韓国風のものという認識がありましたが(わたしもその認識でした)、中国の一部のユーザーから韓国ではなく、中国の明代のものであるという主張がなされ、コミュニティのなかで議論に発展してしまったのです。最終的にゲームデザイナーが、中国の明代のものをモデルにした、と名言してしまったことで韓国ユーザーがゲームそのものから離れてしまったのでした。

「どこ由来か」という話はかなりむつかしくて、今現在のわたしたちが使う言語や、服飾や、あらゆる文化がどのように発展してきたかを点でなく時間の流れごと大きなものとして捉えるしかないのだろうなあと思います。

2022/4/10(日)

朝一でウォーキングに出かけました。朝の、青いようななんともいえない匂いが好きです。yenさんを真似してピクミンのゲームをはじめたので、歩いてはピクミンを引っこ抜いたり、おつかいに出したりしています。だんだんゲームの仕組みがわかってきたところです。

井上荒野『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』について、わたしは冒頭しか読めませんでした。読みながらつい自分の経験などを反芻してしまいました。
わたしだけでなく、少なくない数の人が幼いころから何かしらの危機にはさらされてきたと思いますが、痴漢や、セクハラや、明確に「狩られる」ような性の対象にされた経験を思い起こすと、よく生き抜いてきたな……みたいな気持ちになってしまいました。そのただ中にいるときにはわからないことだったなとも、しみじみ思いました。
起こった出来事について、まずそれがどんなものであったかを認められなければ、その先には行けないと思うのですが(自らがどのように回復していくか、ということだけではなくて、いったい何を自分はされて、そのことについて加害者にどういった償いを求めるか、など)、認められるかどうかは世間が求める素早いスピードではできないのではないか。まずとにかく安全な場所が必要で、安全で過ごせることを後追いで実感し、忘却や何かしらの修復がはじまってからでないと、起こった出来事を反芻して紐解いていくなんてできないのではないか。

でもそういう状態になってからでは償いを求めるには遅すぎるといわれるのが今の現実かと思うとき、スピードがぜんぜん被害を受けた人向けになっていないなあ、などと思ったりしました。
そして何も起こらないことが一番良いけれど、起こってしまったとき、起こらなかった前には戻れないんだよな、と思います。起こってしまったあとを過ごしていかないといけないのですよね。

2022/4/11(月)

こたつ布団をクリーニングへ出しました。今季は上掛けを用意できたので、こたつ布団自体をそんなに汚さずに済んだ気がします。

交代制を無視されたyenさんがちょっとかわいそうなので、代わりに言いたいと思うのですが、うさぎさんたち、あなたがたは意外と重たいし、存在そのものが大きいのですよ。実際のサイズの話でなく、何かしらの存在としてあることを自覚いただき、持ち主をときどき楽させてあげてほしいな! 


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