花散らし / どこの岸 2022/03/29~2022/04/11
ほさきから、404 not foundへ
2022/3/29,30(火、水)
桜の下でポーズをとるうさぎ。 |
2022/4/1(金)
2022/4/3(日)
404 not foundから、ほさきさんへ
2022/4/6(水)
yenさん、你好! 桜ももうすぐ終わりですね。寒くなったり初夏のような暖かさになったりで、温度差に体がびっくりしています。
会社に新しい人が入ってくれることになったので(念願の人員増でうれしいです)、今日は店舗までパソコンを受け取りに行ってきました。近ごろはパソコンを注文しても宅配便だと届くのに数週間程度の期間を必要とすることが多く、それが半導体不足の問題なのか、物流の問題なのか、どっちかわかりません。ただ、これまでが便利すぎただけかもしれません。注文して数日後には手元に届く、ってやっぱりちょっと異常ですよね。
街は人でにぎわっていたように思いましたが、もうどのような風景が「これまで通り」や「元に戻った」というのかわかりませんでした。そもそも時間は遡らないし、きっと元に戻ったように感じても決定的に失われたものがあるだろうとも思い、その変化が見えないかんじにひりひりとした気持ちになりました。
帰る道すがら、ロフトに寄ってノートを買いました。やったことの記録をただつけていくためだけの。新書サイズでどこにでも持ち歩けそうなので、このノートとしばらく過ごしてみようと思っています。
2022/4/9(土)
友人に会うついでに、冬のあいだ放っておいた片付けへでかけました。自分の中でこの片付けが終わらないとなかなか次に行けない気持ちでいて、GWにはきちんとひとつ区切りをつけたいなと思っています。
そうそう、漢服なんですが、日本でも撮影している人とかいらっしゃるんですね。見てみたかった! ドラマの服装はちょっと、いやかなりファンタジーが入っている部分もあると想像しているのですが、yenさんがイメージしているもので概ねあっているはず……?
漢服に対して中華圏でも「いったいいつの時代の?」という問いかけはなされているようです。記事によって明代とあったり、唐代とあったりするので、そのあたりは定まっていないのかもしれません(商業的に展開されている部分もおおいにあるので、ふわっとしている部分もあるのかもしれません)。
韓国の民族衣装(韓服)も、日本の和服も元をたどれば、という話ではあるのですが、韓国と中国の間では民族衣装をめぐってここ数年、かなりセンシティブな議論になっていると聞きました。というのも、韓服は明代の服飾に起源があり、それを発展させてきた歴史があるとのことなのですが、その明代という部分を取り上げて、韓服もまた中国の文化であると主張する人がいたりするのです。
少し前のことですが、ゲームの『sky』の中でも、いわゆる韓国の時代劇で出てくるような、大きなマチの黒い帽子について、それがどこ風(どこ由来)のものか、という点で問題に発展してしまったケースがありました。ユーザーの間では当初、韓国風のものという認識がありましたが(わたしもその認識でした)、中国の一部のユーザーから韓国ではなく、中国の明代のものであるという主張がなされ、コミュニティのなかで議論に発展してしまったのです。最終的にゲームデザイナーが、中国の明代のものをモデルにした、と名言してしまったことで韓国ユーザーがゲームそのものから離れてしまったのでした。
「どこ由来か」という話はかなりむつかしくて、今現在のわたしたちが使う言語や、服飾や、あらゆる文化がどのように発展してきたかを点でなく時間の流れごと大きなものとして捉えるしかないのだろうなあと思います。
2022/4/10(日)
朝一でウォーキングに出かけました。朝の、青いようななんともいえない匂いが好きです。yenさんを真似してピクミンのゲームをはじめたので、歩いてはピクミンを引っこ抜いたり、おつかいに出したりしています。だんだんゲームの仕組みがわかってきたところです。
井上荒野『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』について、わたしは冒頭しか読めませんでした。読みながらつい自分の経験などを反芻してしまいました。
わたしだけでなく、少なくない数の人が幼いころから何かしらの危機にはさらされてきたと思いますが、痴漢や、セクハラや、明確に「狩られる」ような性の対象にされた経験を思い起こすと、よく生き抜いてきたな……みたいな気持ちになってしまいました。そのただ中にいるときにはわからないことだったなとも、しみじみ思いました。
起こった出来事について、まずそれがどんなものであったかを認められなければ、その先には行けないと思うのですが(自らがどのように回復していくか、ということだけではなくて、いったい何を自分はされて、そのことについて加害者にどういった償いを求めるか、など)、認められるかどうかは世間が求める素早いスピードではできないのではないか。まずとにかく安全な場所が必要で、安全で過ごせることを後追いで実感し、忘却や何かしらの修復がはじまってからでないと、起こった出来事を反芻して紐解いていくなんてできないのではないか。
でもそういう状態になってからでは償いを求めるには遅すぎるといわれるのが今の現実かと思うとき、スピードがぜんぜん被害を受けた人向けになっていないなあ、などと思ったりしました。
そして何も起こらないことが一番良いけれど、起こってしまったとき、起こらなかった前には戻れないんだよな、と思います。起こってしまったあとを過ごしていかないといけないのですよね。
2022/4/11(月)
こたつ布団をクリーニングへ出しました。今季は上掛けを用意できたので、こたつ布団自体をそんなに汚さずに済んだ気がします。
交代制を無視されたyenさんがちょっとかわいそうなので、代わりに言いたいと思うのですが、うさぎさんたち、あなたがたは意外と重たいし、存在そのものが大きいのですよ。実際のサイズの話でなく、何かしらの存在としてあることを自覚いただき、持ち主をときどき楽させてあげてほしいな!