腐れ縁みたいな/あなたの線わたしの線 2022/1/10〜2022/1/21
ほさきから、404 not foundへ
2022/1/10(月)
そんなわけで少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
フォーセタオーー火を灯すとは火を囲む暗闇を見ることだーーメユーヴァ
2022/1/12(水)
2022/1/17(月)
404 not foundから、ほさきさんへ
2022/1/18(火)
遅ればせながら、新年快乐!
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
命の危機を感じるうさぎ |
新年に大きな本棚を買うのはとてもよいですね。天井までの本棚、うらやましいです。(この交換日記を交換する頃には整理が無事に終わっているのかな…?)
わたしはといえば、本棚からあふれた本をやっと少し整理しました。年末はまったく整理整頓できなかったので、今やっと、という感じです。
今の家に住んで長くなってきたとはいえ、再び移動するかもという可能性のもと、決まった範囲に収まる量だけ、と思って生活しています、が、だんだん限界を感じています。変化するのが常だとはわかれども、生きれば生きるほどどうしたって手放せないものもあらわれるものなんですね……読む読まないにかかわらず、そばにあってほしい本は確かにあるものです。
そういえば、わたしもコレド室町に先日行ってきました(yenさんがTwitterでおすすめしていたのを見て!)。
誠品書店で『言葉を失ったあとで』(信田さよ子、上間陽子)、『台湾文学ブックカフェ1 蝶のしるし』(呉佩珍、白水紀子、山口守(編)、江鵝(ほか著)、白水紀子(訳))を買いました。なんともお恥ずかしいのですが、小説を買うのは数年ぶりかもしれません…。
『蝶のしるし』のさわりだけ読んでいたのですが、普段読む仕事の文書などとはまったくちがうもので、やっぱり小説という形でないと書ききれないものがあるのだと思わずにはいられませんでした。こうしてすぐ構造でとらえて、その中身について踏み込んでいかないのはわたしのよくない癖ですが……世界はこれほどにも複雑な要素で成り立っている、と少し読んだだけでも感じて、わたしが普段いかに肌感覚を麻痺させて生きているか、こんなに細かく世界と対峙していないな、とそんな風に思ってしまったのでした。
2022/1/19(水)
わたしはすっかり感染者数のグラフを追わなくなって、人づてに今はこれくらいの数だよ、と聞くのみになりました。
普段の生活でできることはやっているため、これ以上はもうできることはないですし、どう読み解くべきかを明確に示されない情報(数字)によって、これ以上自分を消耗させたくないのが本音です。現状、感染者数が減っても、大きく増えても、個人でやることやできることは同じで、たとえ数が減ったからといって大きく変えていい行動というのも今のところなさそう、と考えています。
ここ数日、喫茶店で本を読んだり勉強するのはしばらくやめておこうかな、とか、今週末ライブがあったけれど行くのを取りやめようか、といったことを考えていたのですが、こういう日常の細かい選択も含め、個人での感じ方が大きく違うことはこの2年間でよくよくわかって(2011年の震災直後にも感じたことかもしれません)、目の前にいるひと、そばにいるひとがどういう基準でいるかに集中することが増えたなと思っていました。わたしの基準と相手の基準が違うとき、相手がどういった基準でいるかをまず知ること、そして自分の基準を伝えることにだけ集中するといったような。
それ以外の情報は自分自身の基準を作ることには使っても、人との関係においてはメインではないなと思います。そういったことを思っているので、同じ空間やつながりの中にいる、不安に感じているひとの基準を軽んじない、行く行かない、やるやらないも無理強いしない、不安に思っている人を非難しないことを徹底するのみになっています(自分とは異なる基準があったとしてもジャッジしない、といったようなこともあるかもしれません)。つまりは非常時なんだな、とばかり思います。
わたしはじっとしているほうだとは思いますが、これも「できることをできるだけやる」くらいの気持ちで、耐えきれないときは多少移動もしますし、それぞれ「これ以上はできない」という線がどうしたってあるよなあ、と思います。
2022/1/21(金)
昨年、会社で掲げていたお札やお守りを返すついでに自分も初詣に行ってきました。
勤めているのが小さな会社なこともあり、毎年年始に初詣をしてお参りをする行事があります(さまざまな事情で参拝できないひとがいる可能性もふまえ、あくまで任意参加です)。コロナ禍になってからは中止になっているので、会社を代表して数人が参拝するのみになっているのですが、今年は古いお札を持っていくのを忘れてしまったそうで、わたしが追って返しに行ったのでした。
わたしがいる規模の会社なんてちょっとしたきっかけであっという間につぶれてしまう、と常日頃思いながら働いているので、なんとなく神様に頼りたくなる気持ちはわかります。つぶれないでほしいとは思いますが、本当にこればかりはどうなるかわからない。
ただ、小さな会社だからこそ、わたしは居場所を得られた(用意してもらえた)のだ、とけっこう感じます。大きな会社に属していたこともありますが、集団生活も組織の中にある「当たり前」のルールもその集団で求められるレベルでは守ることができず、へとへとになりながら働いていたので、わたしのほうに合わせてくれたという意味で、今いる会社は問題はゼロではないけれども悪くない会社だなと思っています。おすすめはしませんが。
ここがポイントで、悪くない会社だとは思うけど、誰にでもおすすめできるわけではない、そんな話を会社の同僚ともしたのでした。どんな場所にもメリット/デメリット、合う/合わないがあり、自分にとっては合う≒悪くない会社だったけれども、他の誰かにとってはわからない、という思いはそれぞれにあるようでした。生活に困るようなことがあってはなりませんが、そういった基本のラインの話でなければ、あとは自分にとって合うか合わないかなのかな、などと思ったりもします。