世界はひどく/開かれていくとは 2021/12/14〜12/30
ほさきから、404 not foundへ
2021/12/14(火)
2021/12/15(水)
人が主張するアイデンティティは往々にして、敵のアイデンティティをーーネガとしてーー写し取ったものです。
2021/12/16(木)
2021/12/20(月)
子ども食堂でクリスマスケーキの配布をしたというニュースを見て、定期的にタイムラインに流れてくる、大学生向けの寄付をしました。「短歌・俳句・連句の会でセクハラをしないために」のクラウドファンディングも目標額を達成しそうで少しほっとしています。
それから火酒を一壜わすれちゃいけない。世界はひどく寒いのだから。今夜はどこで一休みできるだろう。アルバータで一ど、トーキョーで一どハイファで一どは休めるだろう。鬚のニコラス老人は立ちあがった。老人は、まだ一どもクリスマス・ディナーを食べたことがない。(長田弘「サンタクロースのハンバーガー」より)
404 not foundから、ほさきさんへ
2021/12/22(水)
日曜日、楽しかったですね。あの日はなんだかいくつかのニュースの影響で心の底が冷えていて、1人でいるのはしんどかったので、みんなで一緒にわいわい過ごせて本当によかった。わたしはあまり人付き合いなど上手ではないですが、いまそばにいてくれている人たちに随分助けてもらっていると感じています。いつもありがとう。
今日はAさんからお菓子が届いて、うさぎは喜んで箱のなかに入り込んでいました。コロナ禍に入ってからyenさんが誘ってくれたお菓子(ちやほや)交換ですが、やっぱり何歳になっても贈り物はうれしいものです。箱をあけるときのときめきといったら!
これは日曜日のメロンバウム |
2021/12/23(水)
数日前に「HelloTalk」というアプリをはじめました。語学学習のためのアプリで、例えばわたしは「日本語ネイティブで、中国語学習をしたいひと」なので、アプリで「中国語ネイティブで、日本語学習をしたいひと」とマッチングしてくれます(といっても個別につながりたくないひとはつながらないこともできます)。
勉強したい言語で作文して投稿すると、ネイティブだったらこう書く、といったものを他のユーザーが修正して戻してくれます。わたしも日本語を勉強したい人に対して同じようにしています。個別チャットもできるのですが、当初は異性からの連絡がかなり多く、出会い目的のひとも多いのかな…?という印象があり、途中から検索にいくつか制限をかけました。そうしたらきちんと、語学学習をしたいひとと知り合うことができたのでよかったです。
そんなわけで今日はそこで知り合った同世代の女性とはじめての音声通話をしました。向こうがかなり日本語がわかっているように思えたので、自己紹介などしつつ、楽しくおしゃべりしました。その方はかなり熱心に日本語の勉強をしているようで、『アンナチュラル』を字幕なしで見たと言っていました。ほぼわかってるじゃん……。わたしは発音するたびに相手を困らせしまう、というわりかしダメな感じでやっております。
そうそう、うさぎですが、兔子(tùzi)といいます。たぶん話し言葉としてのうさぎ…なんでしょうね…(中国語、奥深すぎてうまく説明できません!)
中国語の勉強をはじめたことで知ったのですが、中国語の発音をカタカナで説明するのはすごくすごくむつかしく…あえて書くならば「トゥーヅ」でしょうか。ゥーが高いところから一気に下がる音なので、「(息をだしつつ)トゥー⤵ヅ」みたいなかんじです。
陳情令などでも人物名がカタカナで書かれていますが、あれは勉強すればするほど「ちがう」となってしまうんだろうなと思います。中国クラスタのひとたちが人物名などをきちんと日本語読みにしたほうがいい、といっていたのを思い出す昨今です。そのあたりも今、過渡期なのだと思います。これからはそのまま、カタカナ読みの名前がもっと増えていくのではないかなあ。
2021/12/25(土)
友人の家に遊びに行ってきました。この友人と会うのも二年弱ぶり…だったかもしれません。オンラインでは数か月に一度話していたのですが。同じ都内でも移動を限りなく少なくして過ごしてきたのだなあとしみじみしてしまいました。
友人宅の猫ちゃん |
そういえば、yenさんの法要のはなしを読んでいて(京都おつかれさまでした!)。
わたしの両親は、転勤した先(わたしにとっては地元)にそのまま住み着いたひとたちですが、20年前くらいまでは確かに地域で葬式をやっていたように思います。共同というよりは、執り行いの雑務を地域のひとたちも関わって行う、というかんじかな……なので家で葬儀をやるのが普通だったようにも思います。いまはさすがにそれはなくて、大体葬儀場でやることが多いと思う。
わたしの父が亡くなったとき、父の意向もあってこじんまりと家族葬にしたんですが、家族葬にします、という話をしたら近所の方とちょっと揉めました(笑)。それでも家から葬儀場に移動するときにはみなさん見送りに来てくださいましたし、大変その気持ちがありがたかったですが。
なんていうんでしょうね、ある意味でサービス化される前の状態がある/あった、と思ったりはします。いまはどんどん、なんでもサービス化されて、お金を払えばやりたいことが叶う状態にはなっているのですが……それは果たして、と考えてしまう部分もあるというか。それを良し悪しではなかなか語れなくて。自分ができることを交換しながら生活するのはいまも現実にあることだし、外部との交流によって家が開かれていくとも捉えられる、とも最近は思います。
以前はただただそういうのが煩わしかったし、だから東京に出てきたかった部分もあるんですが、母がちゃんと周囲のひとと交流しながら過ごしている話を聞くと、勝手に安心してしまう部分もあります。
2021/12/30(木)
『アイデンティティが人を殺す』を実はわたしも持っているのですが、積読にしたまま手をつけていません。こうして読みたいけれど読まない本が積みあがっていってしまうのですが、そのあたりの時間を中国語の勉強にすべて振り切ろうとおもっているので、しばらく読書はお休みかもしれません…。せめてアジアまわりの本くらいは手にとっていきたいところです。yenさんがツイッターで話していたコレド室町にも行って台湾雑貨なども眺めたいです。
今日はこれから2年ぶりの里帰りです。いろいろ思うところはありますが、これを逃すとまたしばらく母の顔を見られなくなるかもしれないので、行けるときに行っておくほかないと思っています。
今年も大変お世話になりました。yenさんとの交換日記、社会のこと、自分のこと、さまざまなことを振り返る良い時間になっています。わたしばかりおしゃべりしちゃってないかな、と心配にもなりますが……どうぞ来年もお付き合いいただけたらうれしい。
yenさんも、読んでくださったみなさまも、どうかあたたかくして、良いお年をお迎えください! 来年も良い一年になりますように!