世界はひどく/開かれていくとは 2021/12/14〜12/30

ほさきから、404 not foundへ

2021/12/14(火)

週末の京都も東京も暖かったのに、帰宅した翌日の今日はびっくりするほど冷え込んでいます。北欧の靴下とアイスランドの裏地付きセーターの存在が心強いです。
京都へは祖母の収骨のために行ったのですが、コロナの影響で昨年西本願寺は収骨の受付自体を停止しており、そのため昨年亡くなった方の収骨をするため来ている方が大半でした。来訪者も例年より多く、いつもは専用のホールで法要をしていたのが、本堂での法要になりました。ちなみに本堂に暖房器具は置かれていなかったので皆ダウンコートをきっちり着て、吹きっさらしの本堂に正座していました。お坊さん達は着物の下にヒートテックやカイロをばりばりに仕込んでいるのだろうか……。

法要前にお坊さんのお話があったのですが、その中で「家族葬」という言葉はここ二十年くらいで出てきたものだ、という話が出てきてへえ、となりました。葬式というものを家族だけでなく周囲の家も共にやっていた時代が長くあって(いわゆる「村八分」の残り二分のうちとしての葬式のことでしょう)、その後それが親族だけで執り行われるようになった、更にそれを「家族葬」と呼ぶようになったのはここ最近で、けれどもコロナの現状、家族が全員集まることも難しくなっている……そんな話でした。

そんなわけで京都から帰ってきてへろへろと過ごしていたら、武蔵野市の住民投票条例案が委員会で可決されていました。当該市にはわたしの親戚が住んでいるのですが、この条例により武蔵野市には今後中国人が退去して移住して乗っ取られるのではという新聞記事が友人からLINEで送られてきた、と先日困惑していました。いやいやそんなことあるわけないでしょうとは言っても、そういう新聞記事があるということは事実で、だからこそ親戚も困惑しているのでした。
条例自体は3例目で、これまでこんな風に問題になったことはなかったといいます。

夜はzoomで頭皮マッサージをしていました。デスクワークで動かないことで下半身が冷えるとなんと!肩が凝るんですよ!と言われてひええとなりつつ、こめかみを擦ったり耳を引っ張ったりしていました。意外と温まるから不思議です。

2021/12/15(水)

ピクミン育成のため足を伸ばした公園の奥に桜が何本も植えられた広場があって、近づいてみると桜の赤い花芽がもう見えました。今の時期はシクラメンやポインセチアの赤の季節だとばかり思っていたので、ちょっとびっくりです。

『アイデンティティが人を殺す』(アミン・マアルーフ、小野正嗣・訳)を少しずつ読んでいます。レバノンに生まれ現在はフランスに暮らす作家の、帰属と文化、近代化に関するエッセイ……なのだと思います。作家の経歴もあり、西洋(キリスト教)とイスラムの文化を主な例としてあげつつ書かれているのですが、集団への所属という意味では普遍的な話……と思う一方、欧米の白人(というのも雑な括りですが)とそれ以外の人とでは感想が違うのではないかな、と思ったりもします。

人が主張するアイデンティティは往々にして、敵のアイデンティティをーーネガとしてーー写し取ったものです。 

第一章で書かれたこの言葉を、その後の民族国家と近代化、民族紛争の歴史についての記述を読みながら何度か見返しました。覚えはある、気がします。

自治体広報誌に三回目のワクチン接種についての案内がありました。二回目接種の時期によって三回目接種の時期が変わるため、今のスケジュールで行けば私自身は春以降になりそうですが、親世代は年明けくらいになりそうです。

2021/12/16(木)

プリンタニア・ニッポン』が連載再開!ということで一日楽しみにしていた日でした。大変情報の多い、フルスロットルな連載再開第一話でした……。

ところで404さんの日々の中国語学習の片鱗を見ていたら、中国語ではうさぎのことを「兎子」(トゥズー?)というんですね。「子」がつくとなんとなく可愛い気がしてしまいます。

2021/12/20(月)

今年の冬至は22日だから、という言葉をタイムラインのあちこちで見かけます。一番日が短いのはそこで、その後はだんだん伸びていくからみんな暖かくして過ごそうね、と。
大阪の放火事件や日曜早朝に見かけた若い歌手の訃報、森友事件の訴訟認諾など、辛いニュースが多くて、誰も彼もがうずくまっているような気がします。そうでなくても忙しい年の瀬です。
日曜日、404さんのおうちでみんなで過ごせて本当に良かった、と思います。みんなでおしゃべりできたのも楽しかったし、陳情令も宝塚の素敵なショーを見れたのもよかった。うさぎ達も満喫したようです。

クリスマスの発端はそもそもは冬至だ、という話を去年のこの時期に書いた気がします。ちょうどイギリスのOldvicで『クリスマスキャロル』のweb配信をしていて、物語ラスト、幸福なクリスマスの朝のシーンにかぶせるように寄付のお願いの文字が流れていました。ディケンズの時代は(今の時代同様に)貧富の差が激しく、だからこそ、ごうつくばりの金貸しが改心して善行を行うようになるという物語が書かれたという解説を読んだ記憶があります。
子ども食堂でクリスマスケーキの配布をしたというニュースを見て、定期的にタイムラインに流れてくる、大学生向けの寄付をしました。「短歌・俳句・連句の会でセクハラをしないために」のクラウドファンディングも目標額を達成しそうで少しほっとしています。

それから火酒を一壜わすれちゃいけない。
世界はひどく寒いのだから。
今夜はどこで一休みできるだろう。
アルバータで一ど、トーキョーで一ど
ハイファで一どは休めるだろう。
鬚のニコラス老人は立ちあがった。
老人は、まだ
一どもクリスマス・ディナーを食べたことがない。
    (長田弘「サンタクロースのハンバーガー」より)
うさぎ達がサンタ帽を忘れていたとのこと、すいません。404さんの家のみなさんにかぶせてあげてください。


404 not foundから、ほさきさんへ

2021/12/22(水)

日曜日、楽しかったですね。あの日はなんだかいくつかのニュースの影響で心の底が冷えていて、1人でいるのはしんどかったので、みんなで一緒にわいわい過ごせて本当によかった。わたしはあまり人付き合いなど上手ではないですが、いまそばにいてくれている人たちに随分助けてもらっていると感じています。いつもありがとう。

今日はAさんからお菓子が届いて、うさぎは喜んで箱のなかに入り込んでいました。コロナ禍に入ってからyenさんが誘ってくれたお菓子(ちやほや)交換ですが、やっぱり何歳になっても贈り物はうれしいものです。箱をあけるときのときめきといったら!

これは日曜日のメロンバウム

2021/12/23(水)

数日前に「HelloTalk」というアプリをはじめました。語学学習のためのアプリで、例えばわたしは「日本語ネイティブで、中国語学習をしたいひと」なので、アプリで「中国語ネイティブで、日本語学習をしたいひと」とマッチングしてくれます(といっても個別につながりたくないひとはつながらないこともできます)。

勉強したい言語で作文して投稿すると、ネイティブだったらこう書く、といったものを他のユーザーが修正して戻してくれます。わたしも日本語を勉強したい人に対して同じようにしています。個別チャットもできるのですが、当初は異性からの連絡がかなり多く、出会い目的のひとも多いのかな…?という印象があり、途中から検索にいくつか制限をかけました。そうしたらきちんと、語学学習をしたいひとと知り合うことができたのでよかったです。

そんなわけで今日はそこで知り合った同世代の女性とはじめての音声通話をしました。向こうがかなり日本語がわかっているように思えたので、自己紹介などしつつ、楽しくおしゃべりしました。その方はかなり熱心に日本語の勉強をしているようで、『アンナチュラル』を字幕なしで見たと言っていました。ほぼわかってるじゃん……。わたしは発音するたびに相手を困らせしまう、というわりかしダメな感じでやっております。

そうそう、うさぎですが、兔子(tùzi)といいます。たぶん話し言葉としてのうさぎ…なんでしょうね…(中国語、奥深すぎてうまく説明できません!)

中国語の勉強をはじめたことで知ったのですが、中国語の発音をカタカナで説明するのはすごくすごくむつかしく…あえて書くならば「トゥーヅ」でしょうか。ゥーが高いところから一気に下がる音なので、「(息をだしつつ)トゥー⤵ヅ」みたいなかんじです。

陳情令などでも人物名がカタカナで書かれていますが、あれは勉強すればするほど「ちがう」となってしまうんだろうなと思います。中国クラスタのひとたちが人物名などをきちんと日本語読みにしたほうがいい、といっていたのを思い出す昨今です。そのあたりも今、過渡期なのだと思います。これからはそのまま、カタカナ読みの名前がもっと増えていくのではないかなあ。

2021/12/25(土)

友人の家に遊びに行ってきました。この友人と会うのも二年弱ぶり…だったかもしれません。オンラインでは数か月に一度話していたのですが。同じ都内でも移動を限りなく少なくして過ごしてきたのだなあとしみじみしてしまいました。

友人宅の猫ちゃん

そういえば、yenさんの法要のはなしを読んでいて(京都おつかれさまでした!)。

わたしの両親は、転勤した先(わたしにとっては地元)にそのまま住み着いたひとたちですが、20年前くらいまでは確かに地域で葬式をやっていたように思います。共同というよりは、執り行いの雑務を地域のひとたちも関わって行う、というかんじかな……なので家で葬儀をやるのが普通だったようにも思います。いまはさすがにそれはなくて、大体葬儀場でやることが多いと思う。
わたしの父が亡くなったとき、父の意向もあってこじんまりと家族葬にしたんですが、家族葬にします、という話をしたら近所の方とちょっと揉めました(笑)。それでも家から葬儀場に移動するときにはみなさん見送りに来てくださいましたし、大変その気持ちがありがたかったですが。

なんていうんでしょうね、ある意味でサービス化される前の状態がある/あった、と思ったりはします。いまはどんどん、なんでもサービス化されて、お金を払えばやりたいことが叶う状態にはなっているのですが……それは果たして、と考えてしまう部分もあるというか。それを良し悪しではなかなか語れなくて。自分ができることを交換しながら生活するのはいまも現実にあることだし、外部との交流によって家が開かれていくとも捉えられる、とも最近は思います。
以前はただただそういうのが煩わしかったし、だから東京に出てきたかった部分もあるんですが、母がちゃんと周囲のひとと交流しながら過ごしている話を聞くと、勝手に安心してしまう部分もあります。

2021/12/30(木)

『アイデンティティが人を殺す』を実はわたしも持っているのですが、積読にしたまま手をつけていません。こうして読みたいけれど読まない本が積みあがっていってしまうのですが、そのあたりの時間を中国語の勉強にすべて振り切ろうとおもっているので、しばらく読書はお休みかもしれません…。せめてアジアまわりの本くらいは手にとっていきたいところです。yenさんがツイッターで話していたコレド室町にも行って台湾雑貨なども眺めたいです。

今日はこれから2年ぶりの里帰りです。いろいろ思うところはありますが、これを逃すとまたしばらく母の顔を見られなくなるかもしれないので、行けるときに行っておくほかないと思っています。

今年も大変お世話になりました。yenさんとの交換日記、社会のこと、自分のこと、さまざまなことを振り返る良い時間になっています。わたしばかりおしゃべりしちゃってないかな、と心配にもなりますが……どうぞ来年もお付き合いいただけたらうれしい。

yenさんも、読んでくださったみなさまも、どうかあたたかくして、良いお年をお迎えください! 来年も良い一年になりますように!



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