わたしのいる場所/很没有干劲(なかなかやる気がでません) 2021/11/27~12/11

ほさきから、404 not foundへ

2021/11/29(月)

あまりニュースを見すぎないようにしているのですが、オミクロン株のニュースがだんだん目立つようになってきました。去年同様、年末に向けて感染者増、ということにならないとよいのですが。

朝晩の気温差が激しくて毎日着るものに迷うなあ……と思っていた最近ですが、週末の寒さにもう無理だ、とダウンとあたたかい靴下を出しました。404さんはポソンはもう出しましたか?
ガスストーブの暖かさはエアコンとも違って湿度があるのがいいなあ、と思います。昔よく行っていた山の施設で、朝早く起きると管理人さんが冷え切った部屋の中でガスストーブに火を点ける一連の作業を見ることができました。ストーブの上には大きなやかんを乗せてくれて、やかんのお湯が湧いたらお茶やコーヒーを淹れて飲むのが好きでした。

404さんが疲れているときは歌を聴くくらいしかできない、と書いているのに、おおその発想はなかった……と思いました。わたしは歌も本も、それをちゃんと受け取れるコンディションの時に受け取らないとなあと思って気がついたら積読状態になっていることが多いです(ちなみに「批評の教室」は読み終わりました)。歌については練習する必要があったら延々そればっかり聴いているというのもありますが。

ちなみに有名曲のカバーって、日本でも多分昭和の頃なら結構あった気がします。カバーではないかもしれないけれどFM歌謡祭のミュージカルとかのカバーを聴くのはわたしも好きです。


2021/12/1(水)〜2(木)

いよいよ12月、ということでアドベントカレンダーの最初の日を開けました。アドベントカレンダーは毎年買っているのですが、奮発すると中身のお菓子も美味しいなあと当たり前のことを実感しています。今年はチョコレート専門店のアドベントカレンダーを買いました。
来年どうするか、という話が周囲でも少しずつ増えてきています。そのたびにオミクロン株……コロナ……と考えてしまって、そのままぼんやり思考が止まってしまいます。

アドベントカレンダーが開くのを待つ小さいうさぎ。


外国人入国停止、というニュースが週頭くらいから流れてきていて実際1日からそうなったようですが、しかしこの「外国人」というのはどういう概念なのだろうと考えています。テレビを見ていると国籍が日本ではない人、という意味と、日本という島の中にいない人という意味が混在している気がします。(12/4追記:当初は新規ビザ停止という話もあってどうもよくわからないなあと思っていたのですが結局、在留資格がある外国人も年内は入国拒否という流れのようです)この国の政府は日本という島の中にずっといる人が日本人だという意識が強いのだな、というのは、先日の選挙で在外邦人の投票が実質制限されているという話からも思ったことではあります。国際線の新規予約停止をあとから撤回したのも、そういえば国外にも日本国籍保持者がいるなと、まるで後から思い出したかのようです。
国費留学生が入国できない、技能実習生が入国できない、日本国籍所持者のパートナーが入国できない……その一方で日本に住んでいる外国籍の人が目の前で「なぜ外国人がまだ日本にいるのか」とweb検索をされたというtweetを見かけました。

はじっこにMade in Japanと最初から書かれてはいた私であるが  (「現代語訳・2205」より)

2日にWHOが日本の対応について批判を出しました。その人が持っているパスポート(だけではないけれど)で扱いが変わるというのはどうしても、戦争中の出来事をいろいろと想起させます。

2021/12/4(土)

近所の公園の銀杏の黄色い葉がすっかり落ちて、紅葉の赤色が目立つようになりました。来週は法事で京都に行くため、盆地の寒さに怯えています。秋薔薇を売っていた花屋さんの点灯もクリスマスリースやシクラメンが目立つようになりました。

404さんが書かれていた歌集へのアクセスの話、そういえばそうだったなあと読みながら思い出していました。確かに十年前だと、歌集へのアクセスに関する感覚は今と随分違っていた記憶があります。新鋭短歌シリーズはまだ始まったばかりくらい、ネプリ企画やフリーペーパーが沢山あった頃でしょうか。その一方で短歌が商業的な成功に近づきすぎているのではないか、みたいな懸念も見かけた記憶があります。
先週の文学フリマ東京にわたしは参加しなかったのですが、行けてよかった、たくさんの人に会えてよかったという声を見かける一方で、コロナの影響で東京という場所、イベント会場がかつてより遠くなった、そもそもイベントに参加できるということ自体、ある種恵まれた側だったのではないか……という意見もタイムラインで見かけて、考え込んでしまいました。ちょうど、選挙で与党が勝ったことでインボイス制が推進されるのではないかという懸念を同時期に見かけたこともあります。
『場』がなければ裾野もなにもありはしない。しかし継続的に『場』に参加できるのは結局のところ一部の人だけだったりしないか……とも思います。そしてそれは短歌だけに限った話ではない。
何より、今はtwitterの影響力が良くも悪くも大きすぎる……ように見えるのはわたしがtwitterばかりやってるからかもしれませんが。

市場ではない『場』の可能性もまたあるのではないか、とはいえそこに自分が参加できるかどうかはまた別の話……、というのに頷きつつ、そこの距離感をずっと測りかねているような気もします。わたしにとって心地良い場所はどこだろうという、それだけの話なのですが。


404 not foundから、ほさきさんへ

2021/12/5(日)

友人の買いものについて行ったついでに、新宿御苑でピクニックをしてきました。
久しぶりの新宿は大勢のひとであふれ、世間はすっかり元の様相……のようでいて、そう見えるだけなんでしょうね。現状がどういったものなのか把握できないまま、慎重な生活をやめられないのはわたしだけではないのだろうなあ、と思ったりしています。そんな感じでありつつも、今日友人と外出できたのはすごくうれしかったです。

日が落ちるのがすっかり早くなって15時を過ぎるころには明らかに暗くなりはじめていました。冬至まで日照時間が短くなることをわかってはいても、実際に外に出てみると、こんなにも短い、と新鮮に驚いてしまいます。

ガスストーブの暖かさの話、本当にそうですよね。わたしのいま住んでいる家は古いので、壁にガス栓があって、そこにつないで使うタイプのストーブを使っています(yenさんの言っているガスストーブは灯油のストーブかな?)。あっという間に部屋があたたまるのと、エアコンに比べると空気が乾燥しないので助かってます。そうそう、ポソンもしっかり出しましたよ。今年は丈の短いポソンを2足買い足しました。

うさぎはピクニック大好き 这个兔子太喜欢郊游🐰

夜は北京式の火鍋を食べにいきました。火鍋といえば、辛いスープとそうでないスープの2種類のやつ…とばかり思っていたのですが、あれは四川風であって、他にも種類はいろいろあるらしいです。今回はまさにしゃぶしゃぶといった風情のお鍋でした。

こうして比較的大勢の友人に外で会うのは2年ぶりで、陳情令を知らない人に陳情令について話し、そうして自分の好きなキャラクターのイメージカラーのバッグなどを持って、「好きなキャラの概念バッグなんです、えへへ」とかいいながらふざける遊びが、なんだかとっても幸せなことのように感じてしまい、謎に動悸がしました。単純に興奮してただけかもしれないし、本当に動悸だったかもしれない。

筒のなかに炭が入っているらしい

あたらしいお友だちのかめきちくん

2021/12/6(月)~12/10(金)

1週間、腰もおなかも痛いしで、じっとしていました。日曜日にはしゃぎすぎたのかもしれない…などと思いつつ、今週ずっとごまかしごまかし働いていたのですが、今日は限界がきて仕事を休みました。働けないほどではなかったようにも思いますが、気持ちのほうがついていかないときがあります。

薬を飲んでじっとしていたら、やっと少し体調が上向いてきて、ごまかしたりせずにさっと休んでしまったほうがよかったのかもしれない、とは思いましたが、そんなに賢くなれないですね。後になってこうすればよかった、と思うことは多いですが、実際その状況のなかで正しい選択をできたためしがありません。おとなしく休む、という選択がどうしてこんなにもむつかしいのだろう。

今週ほぼほぼ家から出ずに過ごしていたので、体調がよくなってきたところで外の空気吸おうと思い立って出かけました。ずっと気になっていたジュエリーブランドが百貨店に期間限定で出店していて、それを見に行ったのです。SNSで見かけて気になっていたアメシストと白蝶貝の指輪を見たくて行ったのですが、それとはまったく別の、モスアゲートと水晶の静かな佇まいの指輪にすーっと引き寄せられて、そのままお迎えしてしまいました。たくさんの指輪やペンダントトップ、どれも素敵なことは間違いないのですが、そのなかから「選ぶ」という行為はなんともいえない不思議な感覚でした。

2021/12/11(土)

2021年の陶芸納めでした。今年は途中から陶芸の回数を減らしつつ、継続に重きをおいていたのですが、結果として月1回というゆるやかなペースに切り替えたのはよかったとも思っています。作ることそのものよりも、作る時間によって自分と向き合うことが目的なのであれば、それで十分なのだとも思います。空いた時間に他のことがすべりこんできましたし、先月からはじめた中国語の勉強も毎日楽しく進めています。

少し前から『ストリートダンス・オブ・チャイナ』のシーズン4を見ています(YoutubeにYOUKUのオフィシャルチャンネルがあって、そこに日本語字幕付きでフルで掲載されているのです)。中国とフランスと日本、あとはベトナム……などからも出場していたかな、各国のストリートダンサーが集まって、バトルする番組です。

その番組のなかで日本は意外とストリートダンスが盛んな国であったことを知りました。そういえばK-POPの振付師には日本の人もいる、と聞いたことがあり、日本では活躍の場面が少ないので多くは海外に出ていく、という話も聞きました。どれも聞きかじった話なので、実情を詳しくはわからないのですが……なんというか、海外の番組を見ていて日本のことを知る、とは。知らないことはやまほどあります。

それから「ダンス」をきっかけに交流し、互いの理解を深め、協力し、ダンス文化やそこから広い意味での中国の文化に対する理解を深めていく、という文化理解のプログラムとしても良くできているなとも感じました。

余談ですが、そうして交流していくなかで「わたしたちは家族なのだ」というメッセージをごりごりと発信しているようにも思え、そして多分に素朴な……素朴かな、どうかな、わからないのですが、「愛国」的な要素も含んでいるようにも思い……わたし自身は日本における「家族」という単位にも「愛国」にも懐疑的な部分があるため、どうしても身構えてしまう部分があります。中国ではまたきっと違う感覚があるだろうと思いますが、そういった「言葉」や要素に警戒心を抱かなくてはならない自らが所属している日本という社会について考えてしまいます。

yenさんが書かれていた「外国人入国停止」のニュースについても、「日本という島の中にずっといる人が日本人」という感覚がありながら、外国籍のひとには参政権がなかったりもしますし、いったい国籍や「~人」とはなんであるのだろうと思います。武蔵野市の住民投票条例の審議が週明けからはじまるようですが(「市内に3カ月以上住む18歳以上」であれば、外国人でも日本人と区別せずに住民投票の条例とのこと)保守団体からの反発が強い旨のニュースも見かけました。

こういったニュースに触れながら、わたしは脅かされない立場から考えているのだと、まざまざと感じます。「なぜ外国人がまだ日本にいるのか」という感覚、そういった無知な素朴さをわたしが持っていないか、というとそんなことはないと思います。だから「仕方ない」という話ではなく、想像する、知るきっかけは日常のなかで山ほどあるのに、気づくことができない、見落としてしまう、無視してしまう、そしてそれを安易に「なぜ」に紐づけて当事者に問いかけてしまう、そういう自分にもある芽のことを省みていました。


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