還る・終わる/一人という単位の維持 2021/11/1〜11/15
ほさきから、404 not foundへ
2021/11/1(月)
ずっと追いかけていたNHKの朝ドラ「おかえりモネ」が先週で終わり、今週から新しい朝ドラが始まりました。ヒロインの幼少期から始まる物語、状況説明のわかりやすい台詞回しに、そうだそうだ朝ドラってこういう感じがデフォルトだった、としみじみしました。
「おかえりモネ」は久しぶりにじっくり追いかけた朝ドラでした。震災がきっかけで、一体音楽に何の意味があるのかと一度は楽器を手放したヒロインが、最終回でようやく楽器を手に取るその過程、がドラマのメインテーマではないのですがじっくり描いてくれたのが、個人的にはとても嬉しかったです。
衆院選挙が終わりましたね。
日曜日は用事で夜遅くまで出かけていたのと、京王線事故のこともあり、選挙結果については詳細を見ずに寝てしまったのですが、それでも目に入ってきた、維新の党が議席を3倍に増やしたというのにはびっくりしました。
オンラインを経由しての各省庁や政府への意見投書もコロナ関係で随分身近になった気がしますし、政治に対するTwitterの空気感はかなり変わってきた気がしていて、それは投票率のじわじわとした上昇にも多少寄与しているのかなとも思いますが(今回はむしろ、裁判官国民審査の結果でこのあたりを実感しました)、一方で議席を減らしたものの与党は過半数超えのまま、維新も躍進したというのと併せてどう捉えればいいのか迷うところではあります。選挙結果を見てこれでもう終わりだなどというようなネガティブに偏りたくないという防衛機制かもしれませんが……。
選挙結果に関するいろいろな「分析」を見ながらふと、緊急事態宣言が解除されたとはいえ、今デモのような、人が集まることでの対外的なアピール活動を以前のようにできるだろうか、と思いました。デモが必須とも思わないのですが、大学の部活や地域のお祭のようにデモの知識や経験がある人も、コロナを経て減ってしまう可能性があるのではないか。SEALDsが解散してからもう5年になります。
共有結晶の通販申込みも昨日で終わりでしたね。送付作業など、まだ404さんのご負担はあるのかなと思いますが、この日記が公開される頃には一段落しているでしょうか。お疲れさまでした。
2021/11/3(水)
ザッハトルテを狙う小さいうさぎ。 |
2021/11/4(木)
404 not foundから、ほさきさんへ
2021/11/6(土)
友人と『陳情令』のオーケストラコンサートへ行きました。先行販売でのチケットは手に入らず、一般でチャレンジしたところ、運よくチケットが手に入ったのです。
本編の大事なシーンの映像がスクリーンに流されながら、オーケストラが劇伴を演奏してくれるという大変贅沢な構成で、常に流れるクライマックス!に気持ちが大忙しでした。
そのあと渋谷から少しばかり移動して、四川料理のお店で久しぶりにお酒を飲みながら『陳情令』についておしゃべりしました。まだお客さんは戻っていないようで(そりゃそうですよね、わたしだって月に1回も外食しないので…)お店はガランとしていました。ただ、こういう遊びをするのが久しぶりすぎて、楽しさを存分に味わいました。早く日常が戻ってきたらいいのに、と思いつつ、まだまだこれからどうなるかわからないので、つかの間の楽しい一日でした。
2021/11/7(土)
なんと二日間連続のおでかけ。yenさんの出演されていたANONAコンサートへ行きました(お会いできてうれしかった!)。yenさんのソロ、大変すてきでした。
アイルランドの音楽をわたしはほぼわからないですが、ハーモニーの美しさを十二分に楽しむとともに、なぜか、そこに集まったひとのことやそこにある営みのことをずっと考えていました。
数年前まで、わたしはどこか個人的な営みと商業的な成功を結び付けて考えていたように思います。そういう価値観を持っていた、ということでしょうね。何をするにも、商業的な成功がなくてはならないと自分に言い聞かせていたし、そうじゃなければ価値がない、とも思っていました。自分の好きなこと、やりたいことで身をたてたいとも思っていました。でも人が生活しながら生きていくのに、それは絶対ではありません。商業的な成功があれば、自分の好きなことをやれる、というのは安易な考えのようにも思いますし、いまはそんなに良いものでもないかもしれない、とも思います。何より、個人の一生をかけた「仕事」はけして、商業的にお金を稼ぐことだけではない、とも思うようになりました。
日々の生活の歩みと、個人的な「仕事」は合わせて語られることが多いし、実際いまの生活を維持するためには稼がなければならないという現実はありますが、稼ぐというところから切り離された、「仕事」があってもいいのではないか。実際には存在しているだろう、ということを思ったりもしています。
でもこれは、いまわたしが、「稼ぐ」ための仕事を継続的に手にできるようになって、生活にあまり困らなくなったからなのではないか、とも感じたりもするのです。なかなか複雑なことで、いつだって行ったり来たりしながら考えてしまいます。
そうそう、タイムラインではうるさくしているので、ご存じかと思いますが、中国語の勉強をはじめました。最初は語学学習アプリでやっていたのですが、だんだん欲が出て、中国語教室の無料体験を申し込みました。とてもたのしみです。
2021/11/15(月)
1週間寝かせてしまいました。営みや仕事の話をしたそばから仕事がものすごく忙しく、時間がまったくありませんでした。今週乗り切ればだいぶ楽になるはずなのですが。仕事がいそがしくなると、耳の中が荒れるし、眠れなくなるし、身体はがたがたになるし、と何もよいことがありません! 家のひとたちに勧められてマッサージにいったところ、「よくこんな状態で……」と言葉を失わせてしまいました。もうできないものは出来ない、とばっさり諦めて、限りあるなかでできるだけのことをしようと思った次第です。
さて、交換日記も充電期間を経て、今回から順番が逆になりました。またこの場を通じておしゃべりできたらうれしいなと思います。タイトルが「よなよむ交換日記」なのにぜんぜん本の話をしていないですね! yenさんは最近なにか読まれましたか?
わたしは小説はあまり読んでおらず、少し前に『最小単位/In-Dividual』(トモイさん発行)というZineを購入して、読み始めたところです。亀の歩みで読んでいるのでまた感想は別途と思いますが、「はじめに」という文章のなかに出てきた「地方在住者」という単語に立ち止まったりしていました。
東京に出てきて10年以上が経ち、すっかり都市部の生活にも慣れました。小さな地方都市から出てきて、東京での暮らしになかなか慣れず帰りたいと泣いていたころも遠くなりはじめました。自身の生活の基盤ができあがるほどに、生まれ育った場所の暮らしを、わたしは大人になってからは経験していないのだと思ったりもしていました。子どものころの経験や、少しの間、そこで働いていた経験もあるものの、その場所に暮らしの基盤を作ることはしなかった。そういうわたしに語れる「地元」のことなどどれだけあるでしょう。
東京は比較的1人という単位で生きやすい場所で、1人という単位を重んじるわたしは何やかや言いつつ、いまの生活をけして手放せない気持ちなのですが、東京でずっと暮らしていけるわけでもない気もしていて、最近、これからどうするかなあとぼんやり考えています。できるだけ愉快に暮らしていきたい気持ちはありますが、ものすごく計算しないとそれは叶わない気もしています。ただ計算をしながらも、どんなに備えたところで未来がどうなるかなんてわかりはしないのだと思う自分もいます。コントロールできる、と思ってしまうのはわたしの悪い癖です。