2021/9/11 - 9/26 ちいさく保つ / 振動を重ねる
404 not foundから、ほさきさんへ
2021/9/11(土)
今日は手嶌葵さんのコンサートに行ってきました。
春頃に『ただいま』をよく聴いていて、一度ライブに行ってみたいなと思っていたのです。ギターとピアノとボーカル、というシンプルな構成で、シンプルだからこそ歌や楽器の音の良さにしみじみと聴き入ってしまい。すっかりファンになってしまいました。
手嶌葵さんは今年デビューして15周年になるそうです。今回のコンサートもその記念ツアーの一公演で、1曲、2曲歌っては短いMCが入り、という感じだったのですが、はじまりの挨拶で、「音楽がわたしと社会をつないできてくれました」といった意味のことを語っていたのが印象的でした。
受け取った側がわかりやすい物語にしてしまうのは良くないだろうとは思いつつも、舞台に立つ手嶌さんから無理を感じなかったというか、手嶌さんの在り方を周りも受容して、あなたであることをやめなさい、とは言われない状態がきちんと保たれているように感じたのです。いかに普段自分も、自分のいる場所も、他者にとってやさしくないか、受容がないか、無理のあるルールに縛られているか、考えてしまったのでした。
それにしても、ものすごく久しぶりに人の集まる場所に行きました。カレンダーを見返してみたら、年明けに舞台を見に行ったきりだったので、なんと8か月ぶり。徒歩圏内と仕事と家との往復から抜け出して、にぎやかな場所に行けたことはちょっとした喜びでした。
2021/9/12(日)
昨日の夜から今日にかけて、skyでフレンドさんとよく遊びました。
skyも飽きずにやりつづけていますが、ここ最近は少し遊び方を変えようかなと思い、ゲーム内のキャンドル集めはほどほどにして、フレンドさんと遊ぶことに重きをおいています。自然とログインする回数は減りましたが、成果を求めるような遊び方じゃなくなってよかった、と思っています。
2021/9/13(月)
書くオンラインカウンセリングを続けています。
言葉にするとは大変なことですね。記憶や苦しさを掘り起こし、言葉にし、感情や気持ちに名前をつけていく作業は思っているよりもしんどいもので、とてもじゃないけど、できない、と思う瞬間もあります。
今回の一番の発見はこうして向き合う作業をしても、苦しさがきれいに消えるわけではない、ということです。カウンセリングを頼ろうと思ったときは、整理して、向き合ったら苦しさはきれいさっぱりなくなるもののような気がしていました。でも実際はそうではない。苦しさや起こってしまった出来事にはこれからも付き合っていくしかない部分はあります。
とはいえ、「だから向き合っても無駄だ」ということではないんでしょうね。これまで、苦しさをやり過ごすために取り組んできたこと、たとえばマイペースに過ごすとか、疲れたら休むとか、そういうことの積み重ねでやっと解決に向けて、誰かを頼ろうと思えた部分もある気がしています。
カウンセラーさんもけして「きれいに消えますよ」とは言いません。ただ向き合うことで、苦しさを捉えなおし、再構成できるケースはある、と言っていました。苦しさのまま残るのか、何かしらの基点になるのかも人それぞれではあるけれど、苦しさそのものも変化していく、と。
おそらく、その再構成をしていくためには、「いま」を積み重ねていくほかなく、だからこそ、月並みですが、起こるさまざまな、楽しいこと、うれしいこと、心地よいことを発見していく作業が必要になるんでしょうね。次第に、その中には悲しいこととか、つらいこと、とかも含まれていくのだろうなとも思っています。それも含めて見つめていく必要がある。
じっと起こった事実と自分の気持ちを観察する時間が増えると、これまで、新たに起こったマイナスの感情や出来事を、自分の中にすでに横たわる苦しさに紐づけて、大きくしてしてきてしまったことを思ったりしました。できるだけ結び付けずに、ひとつひとつを処理できるくらいの小さな状態に保つこと。それも今回発見できたことでした。
と、こういう風に書きながら、適切に助けを求めるにも元気が必要で、それはかなりハードルが高いことだ、とも考えてしまった部分もあるのですが、相互に頼ったり頼られたり、ということがとにかくもっとちょっとしたことになったらいいのにと思います。そんなのなんでもないだよ、どんどん頼ったらいいんだよ、と大きな声で言っていきたいものです。
ほさきから、404 not foundへ
2021/9/23(木)
4号が出た時点ですでにひとつの大きな節目になっていたと思うので、今回のアナウンスで改めてコメントしてくださる方のtweetを見つつ、節目感はあまり強く感じなかった、気がします。404さんにもろもろおまかせしてしまったというのもあるかもしれませんが……。アカウントの「中の人」業を最近はあまりしなくなっていたこともあり、反響自体が以前より遠く感じられるということの影響もあるかもしれません。
2021/9/26(日)
金木犀が香りはじめた頃から、夏の暑さで葉を落としていた薔薇が葉を伸ばし始めました。一般的に薔薇は9月頭頃までには剪定するようなのですが、家の薔薇は今年は葉を随分落としており剪定せずにいたので、ひょろひょろと伸びた枝の先端にばかり新しい緑の葉が茂っています。
「快いでしょう耳にもひふにも快いでしょうこんな簡単なことから音楽は始まるの」 (萩尾望都「銀の三角」より)
ライブについて、音は振動なんだと思った、という感想に、ふと「銀の三角」の台詞を思い出しました。良くも悪くも配信公演が身近になった今、これはライブだけでなく観劇などでも感じることです。生身の人間が目の前にいる、互いが互いへ反応を返すこと、のインパクト。
むかし、教育とテクノロジーの関係について研究している先生に話を聞く機会があった時、オンライン授業の可能性について語られたことがあります。オンラインで授業のうまい名物講師の授業をたくさんの生徒が受講するという方式は、今では学習塾などではかなり一般化している気がしますが、当時は今ほど普及していませんでした。うろ覚えですが、オンライン授業やそれと併せて実施されるオンラインテストと採点などが普及すれば、生身の人間が目の前の生徒に教えるということの意味、そういうやり方でだけ教えられることとは何なのかということが逆に明らかになるのではないか……と、その先生は言っていた気がします。現状を鑑みるとなかなかにポジティブな発想だなという気もしますが(こんな状況を想定しての発言ではないので当然といえば当然ではありますが)、人という生き物はそういうものが必要なのだな、ということはこの状況下で痛感しています。
そういえばわたしが歌とか発声とかを習ってみようかと思ったのは、テキストを読んだりすることにすごく疲れていた頃のことでした(とはいえ短歌も場所によっては「歌」というので、たまに人と話していてすごく混乱されるのですが(そして訂正しない))。
それにしても音楽については技術的なことが何も(なにも!)わからないので音の圧を受けていることしかできないのでした。
