2021/6/6 - 6/19 見えていたなら欠けている / 蝶のように

404 not foundから、ほさきさんへ

2021/6/6(日)

昨日はへろへろしていて陶芸に行けませんでした。5月は緊急事態宣言が出たこともありお休みしていたのですが、6月は行くつもりだったのに。こういうことがぼちぼちあるなあと思ったりしていました。湿気のせいかな。

NHKの朝ドラは西と東と制作を交代しながら作っているそうです。その話を聞いて、『おちょやん』からの『おかえりモネ』のふり幅に勝手に納得していました。テーマも脚本家も監督も出演者も違うのだから当たり前なのでしょうが、何を好むか、みたいな違いも出るのでしょうか。

2021/6/11(金)

平日はまったくだめですね。なかなかこの日記まで辿りつけずに過ごしてしまいました。

大企業のワクチン接種の件、その企業で働く非正規のひとたちはどうなるんだろうとばかり考えていました。人道的な視点からだけではなく、経済的合理性で考えたとしても同じ企業で働くひとには契約やかかわり方の形態で分けずに一括で接種したほうが良いと思いますが(本人が拒否しないかぎり)、どこまでそれが叶うでしょうか。とはいえ、いくつかの会社で業務委託や派遣で就業した経験を振り返ると、本当に大きな企業に関してはそんなに心配はしなくてもいいのかなとも思っています。

客先ではなく、自社の上司や営業担当から「お客さんがよかれと思ってしてくれたんだから感謝をきちんとお伝えするように」みたいな説明をよく受けていたのを思い出していました。それこそ「その身分らしいふるまいをするように」みたいなことなのでしょう。依頼された、あるいは契約した仕事をしゅくしゅくとやるだけでは許されないのだなあと感じていました。ただ実際には、その身分らしいふるまいをしなかったならあっという間に仕事を失っていただろうとも思うので、恐ろしいことです。

わたしがいまそのような気持ちを感じずにすんでいるのは、何かしらを越境せずにいるからだろうとも思います。いちいち感謝をしなくていい状態。ワクチン接種を会社でうけられることはないと思いますし、順番はきっともっと先にならないとまわってこない。まったく不平等です。だけれど、それでも気持ちは楽なのです。何かを越えて存在することには余計な苦しさが発生する。その苦しさを引き受けながら戦い、勝ち上がっていくことはそんなに楽しいことではありません。
この考えがけっして「良い」わけではありません。ただ日々のなかでずっと苦しさを感じ続ける状態は、自身を消耗させ、なんとはなしの幸せを奪います。食うに困らないならそれで、みたいなのが「良い」わけじゃないことはわかる。でもこれまで自分なりに、乗り越えられるところまでは乗り越えた、というのが最近の所感です。いまは生きているだけで花丸です。

2021/6/12(土)

陶芸を月1回にしてもらうよう先生にお願いしました。しばらくそういうかんじでやっていきます。

そういえばyenさん『ナビレラ』をみているとか! わたしも少し前に一気に見ました。内容が詰まりまくっていて、見るの大変かもですが、ラストシーンにぜひたどり着いたら教えてください。あれこれ語りたいです。

わたしはなんやかやと韓国のコンテンツを見てしまうのですが(アイドルしかり、ドラマしかり)、先日『女ふたり、暮らしています。』(キム・ハナ, ファン・ソヌ 著/清水知佐子 訳)を読みました。ソウルで共同生活をおくる女性ふたり+猫4匹のエッセイ集です。

韓国の単身世帯率は二七パーセントを超えるという。単身世帯は原子みたいなものだ。もちろん、ひとりでも十分に楽しく暮らすことはできるけれど、ある臨界点を超えると、ほかの原子と結合して分子になることもできる。(中略)固い結合もあれば、ゆるい結合もあるだろう。女と男という二つの原子の固い結合だけが家族の基本だった時代は過ぎ去ろうとしている。この先、多様な形の「分子家族」が無数に生まれるだろう。分子式にたとえるなら、私たち家族はW₂C₄といったところだろうか。女ふたりに、猫が四匹。今の分子構造はとても安定している。

わたしはここ7、8年くらいルームシェアをしていて、今後いまの家を引き払って暮らす可能性もゼロではありません。そうしたら家を買うのもいいのかなと思い、ぼちぼち見て、現実を思い知っていたのですが、調べている過程で、今のところ、一人で安全に暮らせる狭い家を買うことは、あんまりもう魅力的な選択肢でもないなと思ったりしていました。出勤の頻度が減り、「仕事に通いやすいところ」という制約がなくなったためか、いまはもうどこにでも住もうと思えば住める。でも一緒に暮らしている友人たちと離れる理由がいまのところないのです。

今後この状態が継続すると仮定して、もう少し希望を抱くとすれば、安定的に生活を営むための法的支援はほしいところです。「結婚」ではなく、もう少し言うと「恋愛」も前提としない、シンプルなパートナーシップ法があるといいのにと思います。それがあると、それこそ住宅の選択や病院の付き添いなど、できることがもう少し増えるのに、と思ったりしています。『女ふたり、暮らしています。』でも最後にそこにたどり着き、法的支援の必要性が語られていました。日本も韓国も「家族」という単位で考えられることが多い国なんだろうとは思うのですが、公的な形で「家族」になるには「結婚」か「養子縁組」か、一部自治体では同性のパートナーシップの取り組みもはじまっていますが、なんとはなしに「家」か「恋愛」が前提にあるような気がしてならず、ちょっとちがうんだよなあ、と思ったりしています。あと、なによりいちいち「一対」なんだよな、とも。一対じゃなくてもいいのにね!


ほさきから、404 not foundへ

2021/6/14(月)

梅雨入り宣言がようやく出ました。日本には上陸しないものの、日曜日には今年初の台風が観測されたようです。梅雨はもうゲシュタルト崩壊したのではないかなあ、と思います。

そうそう『ナビレラ』、まだ三話までですがNetflixで見ています。結構前にコミカライズのニュースから設定だけ知って(……と思ってたんですがこれ、そもそも原作がwebコミックなんですね)、面白そうだなあと思っていたらつい最近になってNetflixで見れると知ったのでした。まだ全然序盤ですが、韓国スーパーでは殻付きアワビが普通に買えるようだと知ったのは本当に衝撃でした……(『ナビレラ』は古希を迎えたおじいさんがクラシックバレエを習う話です)。1話が1時間以上あるのに視聴が続いているのはわたしの中では結構な快挙です。そういえば去年、コロナが問題になり始めた頃は『愛の不時着』がものすごい勢いで流行ってましたね。
韓国のコンテンツ、フォロワーさんにも好きな人が多いのでチェックした方がいいのかなあと思いつつ、特に映画やドラマ系はどうにも情と暴力が濃いイメージがあってあまりピンと来ていなかったのですが(わたしの観たことがある韓国映画は『スウィングキッズ』と、昔404さんとも一緒に見た南北問題を絡めたアクションものくらいでしょうか。あれは濃かった……)、『ナビレラ』は今のところそんなこともなく、おじいさん役の方がチャーミングで上手いなあとストーリーに浸っています。韓国のコンテンツ全般について初心者なので前述のアワビの件しかり、本当に儒教の年長者を敬う文化が言葉にも日常にも浸透しているなあとか、そんなところを新鮮に見ています。

2021/6/16(水)

朝起きたら土地規制法案が可決されていました。夜中の二時過ぎまで審議がされていたようです。

小さいうさぎは相変わらず職場についてくるのですが、今日はお弁当に持ってきたビーツの酢漬けが少し漏れてしまったようで、鞄から出るとリボンが一部ピンクに染まっていました。
小さいうさぎは何も言いません。言いませんが、圧を感じます。

ピンクに染まったリボン。


『ナビレラ』は五話まで来ました。これがハリウッドなら主人公のお爺さんはもっとスムーズにバレエが上手くなっていきそうだし何ならSNSデビュー位してそうだなあと思いつつ、家族の絆というものについての信念が日本のドラマや映画以上に強い世界観だなあとも思います。そこに惹かれる人もいるのでしょうけれど。

2021/6/17(木)

わたしの住む自治体ではワクチンの接種券は今月末には郵送されるようです。自衛隊の大規模接種を受けるなら少し早めに受け取ることも可能なようですが、あちらも第二回接種を確実にするため、7月以降は枠が狭くなるようです。その一方で企業との契約の関係でワクチン供給が今後減るというニュースも流れてきました。
ワクチンの件についてはTwitterで複数の、自治体行政担当者の匿名アカウントが現れ、情報発信や情報交換をしているのが今までにない動きだなと思います。東日本大震災においてTwitterは役所や報道局の情報発信ツールとして活躍し、それにより日本ユーザーが大幅に増えたと認識していますが、それから十年後にこういう使われ方をされるというのはなんというか、隔世の感があります。
災害においてワクチン供給が減るのは最初から分かっていたはずだ、そもそも優先枠がなし崩しになっているじゃないか……そんな指摘を、ワクチン担当匿名アカウントの一つがしているのを見かけました。

緊急事態宣言は20日に解除されることが決まりました。オリンピックは観客を入れて開催されるというニュースが嘘か遠い出来事のようですが、嘘でも遠い出来事でもないのだよな、と思います。

2021/6/19(土)

コーヒーショップでAさんとおしゃべりしていました。ピンクに染まったリボンともちぬしの非道について、小さいうさぎはAさんに必死に訴えていましたが、苺みたいでかわいいよと言われ、くるくるとよろこ……びかけては、でもやっぱり、もちぬしが悪いのには変わらないのでは? と我に返ったりしていました。

夜、色々予定が伸びたり変更になったりしたので、ZoomでフォロワーのSさんの文学さろん(平仮名なのはわざとです)にお邪魔しました。桜桃忌ということで太宰の明るい短編を紹介してもらったのですが、『富岳百景』の月見草って小説中に書かれてるように昼間には咲かないですよね、とか、冒頭文の一部は太宰の妻のお父さんの地質学者の文章が元ネタなんですよとか、解説が色々衝撃的でした……。
太宰の『待つ』という小説は、高校の教科書に載っていたのを読んでずいぶん印象的だったのですが、この小説についてSさんが「省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。」と始まりながら「お教えせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける。」で終わる、つまり待っている相手について、迎えると能動的な言い方をしていたのが見掛けるという距離感のある動詞で終わっているという指摘は全く気づかなかった観点で、しばらく考えてしまいました。
もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。たとえば、春のようなもの。いや、ちがう。青葉。五月。麦畑を流れる清水。やっぱり、ちがう。ああ、けれども私は待っているのです。胸を躍らせて待っているのだ。     (太宰治『待つ』より)
週明け21日はミッフィーのお誕生日です。つまりはわれわれの誕生日みたいなものですよ、と、うさぎ達に期待のこもった眼差しで主張されました。

このブログの人気の投稿

浦島太郎/時間を手繰り寄せる 2023/09/15 〜2023/10/13

花・熱帯・沼 / 拾う・疲労・披露 2022/6/29~2022/9/4

どこまでが故郷であったか/もち、萌ゆ 2022/03/10~2022/03/27