2021/5/8 - 5/21 星の王子さまにでてくる大人 / 顔を覗く

404 not foundから、ほさきさんへ

2021/5/8(土)

ゴールデンウィーク中、職場の、喉にささった魚の骨みたいなトラブルによって、少しも休めませんでした。やっとゆっくり眠れると思っていたのに、逆に眠れなくなる事態で、ああ頭を突っ込まなければよかったと思うのですが、自分の尊厳にもかかわると思うと黙っていられませんでした。子細に書けないので随分ふんわりとした説明ですみません。

しかし何といっても何かしらが起こった際の告発する側、指摘する側の大変さたるや。理解を求めるために言葉を尽くし、かといって相手を断罪してしまわないように気を付けながら話すことはなんて大変なんでしょうか。それでいて「変なこと言ってる」と思われないよう、相手がどう理解しているのかを確認せざるを得ず、さんざんでした。相手の理解を事細かに確認するなんて、そんなこと本当はしたくないのです!

そんなゴールデンウィークを過ごしたわたしですが、今日はやっとだらだらしながら、『星の王子さま』を読んでいました。7月からskyで『星の王子さま』とのコラボがはじまるため、ちゃんと読んでおきたいなと思ったのです(実はこれまで一度も読んだことがありませんでした)。

タイムラインでどの訳がおすすめですかと聞いてみたらMさんとIさんが内藤濯訳のものを教えてくれました。疲れているのか黙読ができず、のろのろと音読していたのですが、立ち止まりながら読むにはなかなか良い方法だなと感じます。

2021/5/9(日)

すっかり初夏の陽気でした。
お昼前に散歩に出かけ、午後はやっと『ミッドサマー』を見ました。

映像にグロい部分があって、途中は薄目で見たのですが、予告よりはずっと怖くなく、「家族」を失った主人公の孤独や苦しみが、カルト的な小さな共同体のなかでしか癒されなかったんだと苦しさも覚えました。そして登場人物の複数名がかなり悲惨な終わりを遂げるのですが、それについて反発を覚えない(つまり、主人公や、新しい家族であるカルト的な共同体のほうに共感を抱くような)作りのようにも感じて、非常に恐ろしかった。あそこで行われていた理不尽な殺人は村人の連帯(家族関係)を共犯という形で高めるためのものだったと思います。

わたしたちのいる社会はひとりでは生きていきづらいですし、家族という単位がなにかと出張ってくる。わたし自身、反発しながらもその単位を感じながら暮らしているわけなのですが……『ミッドサマー』はそこから逃れられないことを描いているようにも思いました。かといって主人公に対し「家族」に紐づかない、紐づけない状態で居ろ、とも言えないなあとも思っていました。この社会の複雑さを、複雑なまま見たり、複雑な状態の場にいることを保ったりするにはどうしたらいいのだろう。ついついわかりやすい評価を与えたくなってしまって困ります。

2021/5/10(月)

skyの新しいクエストでもらえるアイテムが、輝くわけでも、鳴るわけでもない、ただの壺、ということに、感動するより前に若干の戸惑いを覚えていました。ゲームのなかでそんなアイテムに出会えることは多くありません。ゲームではだいたいが「役立つもの」として出てきたり、「飾る」目的をもっていたりしますが、今回の壺はいったいなんなんだろう?

みんなどんな感想なんだろうと、skyで知り合ったフレンドさんに聞いてみたところ、「ただのインテリア、だけど、この役に立たなさが今回のイベントのコンセプトにもよくあってるよね」と返ってきて、唸ってしまいました。ちなみに今回のイベントでは、子どもの精霊がツリーハウスを作っていくのを手伝いながら物語が進んでいて、壺は「ただの壺」ではなくて「子どもにとって宝物の壺」なのです。そう思うと見え方が随分変わってきます。

少し前にもらった「座布団」も同様に輝くわけでも鳴るわけでもなかったのですが、なんとなく「座布団」は頭の下に敷けば枕になるし、その上に一応座ることだってできる、みたいに「役立つ」基準で見てしまっていたので、ここまでの疑問は沸きませんでした。わたしのものの見方はすっかり『星の王子さま』に出てくる大人みたいです。

2021/5/11(火)

ツイッターから離れているというyenさんの話のなかで、共有結晶の話が出たのですこしだけ。

実はわたしはコロナ禍で通販を止めてからというもの、だいぶ気が楽で、というのも通販対応が日常生活において常に気にしていなければならないもののひとつとしてあったからなのですが、それについてうまく対応できずここまで来てしまいました。「通販をやめる」ことは、本当の意味で幕を引くことになる、と感じていたからかもしれません。

ツイッターでの対応も同じことだな、とyenさんの日記を読んで思ったりしていました。
これまでもう十分にやってきましたし(あと少しで10年になりますもんね)、重たいものとして残るよりはすっぱり終わりにしてしまったほうが良いのかも、と思ったりもしています。みんなで話さなければ何も決められはしないですが、維持・継続とはかくも大変なことだなあと思わずにはいられません。なんにせよ活動を継続しているひとたちは本当にすごいです。

2021/5/13(木)

仕事に振り回されています。
仕事を生活の中心にしたくないと思っているのに、すっかり仕事の合間に駆け足でskyをやり、ごはんを食べ、最低限しなくてはならない生活のあれこれをやるはめになっています。こんなのはまったくもって良くありません。同居人に「なぜそんなことになっているのか、なぜもっと怒らないのか」と問われて、ぐうの音も出ませんでした。

それでも今日は午後やっと少し休みが取れる予定です。ゴールデンウィークに稼働した分の調整で休むだけなのですが、それだけでうれしい。休めないよりはいいのかな、とかすぐ思ってしまいがちなのは、よろしくないです。

今週はあんまり本を読めませんでした。夜な夜な読んでいる、と略して「よなよむ」ですが、よなよな読、めてない!


ほさきから、404 not foundへ

2021/5/15(土)

金曜日、同僚の親御さんがワクチンの接種予約をしたという話を聞きました。今日会ったAさんの職場でも、年配の同僚の方はワクチンの予約をされているようです。
ワクチンって本当にあるんだなと思いました、と。いつもおしゃべりしているコーヒーショップでAさんと話していました。遠い外国でもなく偉い人だけが特別にというのでもなく、手続きを踏めば得られる現実味のある存在に、ワクチンが少しずつ変わっていく。実際に自分が接種できるのは結構先なのでしょうが、祖母や親が接種を終えれば多少は安心するのだろうなと思うとき、家族という枠組みの強さにちょっとぼんやりしてしまいます。
こう言っては何ですが先日の祖母の葬儀だって、おそらくコロナがなければもう少し、面倒くささや鬱陶しさをわたしは前面に感じていたはずです。でもそうはならなかった。それはたぶん、幸福な事例に分類されるのでしょうが……。404さんのミッドサマーの感想を読みながらそんなことを思いました。

ミュージカル『CATS』の50周年限定配信を見ました。音楽の教科書に載っていた『Memory』しか知らなかったのでいわゆる勧善懲悪的なストーリーが中心なのかと勝手に想像していたのですが、プロジェクターで大写しになった画面の中、しなやかに踊る猫の顔はアップで見ると70年代のロックスターのようでした。
ストーリーもあるようなないような、わからなくても猫達の踊りや歌を楽しめる作りだと思うのですが、老いた猫が往時を振り返り、慰めを得るというようなシーンが複数あって、なんだか切なくなりました。

2021/5/16(日)

大型連休の時にしかやらないと思い込んでいた子ども科学電話相談が実は毎週日曜にやっていることを知りました。そんなわけで早速聞いていたのですが小学生の女の子からの「ねずみはいつ、耳が伸びてうさぎになったんですか?」という質問に、うさぎ達がとても動揺していました。うさぎとねずみはずいぶん前に違う動物になったんですよ、と先生が答えていました。

歌の練習に行ったのですが今はみなマスクをしたままで歌っていて、ふと不思議な気持ちになりました。去年の今頃は日常的にマスクをし続けること自体がわたしはとても苦痛で、よく咳き込んだりしていました。それに少しずつ慣れてきた秋頃、久しぶりにマスクをして人と歌ったら自分の声も人の声も、音の聞こえ方が全然違ってパニックになった覚えがあります。それが今は普通に周囲の声を聴きながら歌っている。まあ、そもそもなぜ我々がマスクをしているかを考えるといいのかそれでという思いも無くはないのですが……。
指揮者や観客からしたらマスクの有無で聞こえる声が大きく違うというようなことはない、とも聞いたことがあります。けれども。

それにしても文学フリマがずいぶん遠くなりました。今日、文学フリマ東京は開会中に複数回、一般参加者を会場から出して換気タイムを設けていたようです。

2021/5/17(月)

久しぶりにピアスをしました。昨日、歌の練習に行ったら大きな黒い花のイヤリングをしている人がいて、それがとても素敵だったのでした。
昨年の春以降、手指の消毒やマスクの邪魔にならないよう、たまにやっていたマニキュアや指輪やピアスを全くしなくなりました。口紅もろくに塗ってないので塗り直すこともありません。同様の人はたくさんいると思います。手指の消毒のことがあるのでさすがに指輪はしばらく難しいと思いますが、去年の春、なんだかとても大変なことが起きているから、と大慌てで手放したものをそろそろ少しは取り戻してもいいのではないか……とふと思ったのでした。でないと手放した、手放さざるを得なかったものが、自分でも気づかないうちに誰かを攻撃するようななにかになってしまうのではないか。

しかしやってみて気づいたのは、どうも自分は今、以前より自分の顔を見なくなっているのではないか、マスクしている自分の顔を見るべき情報がないものだと思い始めているのではないかということでした。というのはつまり、一日過ごした結果、ピアスがあまり目に入らなかったのです。
例えばお手洗いに立った時や電車の窓や、今までなら何かしら、それこそ歩いているだけでも自分の顔が目に入る機会というのがあって、そこで目に入った自分が疲れた顔をしているとうわあ……と思ったりしていたはずなのです。で、そういう時にうわあとならないようにピアスを付けたり口紅を塗りなおしていた、はずなのにそれがろくに目に入らなかった、というのはなんだか結構ショックなことでした。

2021/5/18(火)

暑い!なんだこれ!梅雨か!という声がネットのあちこちから聞こえます。じっとしていても汗の出るような蒸し暑さに昨夜は今年初めてサーキュレーターを稼働させました。

鳴り物入りで始まった自衛隊のワクチン接種の予約システムがざる、というか枠のようなシステムだったと判明してこれは大変……と思っていたら大臣や元首相達がシステム検証したりシステムの穴を指摘する新聞社が悪いと言い出して、ぽかんとしていました。ぽかんとしてから、この人たちは早くワクチンを接種したい、コロナが怖いと不安な人達のことはどうでもいいんだ、とさびしくなりました。

ビーツ5トンが余ってます、送料無料+割引でお送りしますという北海道の業者さんからのtweetを見かけて購入しました。5トンって。送料無料って。同じタイミングで別の、しかしやはり北海道の業者さんから送料無料で在庫処理しますという案内を見かけて恐ろしくなりました。去年の今頃にも北海道の物産詰め合わせを買った記憶があるのですが、さすがに送料無料ではなかった、と思います。
ビーツの食べ方はこれから調べます。バターソテーにしても美味しいようです。

2021/5/21(金)

天気予報は雨、雨と言っているのに雨音が全然しないな、と思って外に出たら細かい霧雨が降っていました。関東の梅雨入りは一応まだのようですが、火曜日から一転、こうも曇り空が続いていると、花の季節としての五月はもう終わったのだと改めて実感します。九州の大雨はもう毎年恒例のものになってしまったのでしょうか。
そういえばベランダの薔薇が咲くと、北原白秋の「薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。」と、星の王子さまと狐の、バラについてのやり取りをいつも思い出します。

野ばら。


ここ数日は漫画家さんや芸能人の訃報が相次いで、なんだか丸まりたい気持ちになっていたのですが今日は「作りたい女と食べたい女」の更新があるはずだぞ……とタイムラインを覗いたらLGBT法案の審議先送りに関するニュース(の、自民党議員のコメント)が流れてきて、やっぱり丸まりたくなりました。
辛いニュースを読む、読むまでもなく目に入ったとき、それだけで体は辛くなるんだなと思います。読んでいる目の干上がっていくような、体の弱い部分が痛み出すような。そう考えると言葉というのはやはり、恐ろしい。

ずっと前に登録だけして放置していたネットスーパーで初めて食材を注文してみました。地元スーパーの買い物から完全に切り替え、は難しそうですが、しばらくやってみようと思います。


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