2020/11/14 - 11/27 移動すること、冬の音楽
ひらたから、ほさきさんへ
2020/11/14(土)
久しぶりに映画を見るため、街に出かけたところ、予想していたよりもずっと賑わっていました。いまは週に1回から2回、会社に行くのみで、それ以外は土日もほぼほぼ徒歩、もしくはバスで出かけられる範囲で暮らしているので、街の様子にすっかり疎くなっています。
緊急事態宣言のころ、だったかな、NHK BSで「コロナ新時代への提言~変容する人間・社会・倫理~」という番組が放送されていました。
國分功一郎氏がそのなかで「移動する自由」や「感染者数のグラフからは見えてこないもの」について、語った下りが印象に残りました。ひとが罪を償う際に与えられる重たい罰として「移動の制限」がある。そして、感染者数は数字ではなく、その先にひとりひとりの人間がいるのだ、と語っていました。
わたし自身の、移動や外出がさして多くない生活はcovid-19対策をきっかけにはじまったものではありますが、そういう暮らし方を選択できる、かつそれが自分に合っていてストレスがない、というだけの話で、巷に滲んでいる「緩んでいる/緩んでいない」という軸のいい加減さを思うばかりです。各々の生活のなかで、できる範囲の感染対策をする。それ以外、個人にできることがあるでしょうか。
そして「ストレスがよりかからないほう」を選ぶことで、維持できるもの――わたしはわりと真剣に、自らがつらいと思うことを回避することで維持できる命(と言っていいのかわからないのですが)があると思っていますが、大げさな、と笑うひともいるのでしょうね――があります。外からの影響によって、望むままには選べないことはままあるかもしれませんが、何をストレスと感じるかには個人差があり、それが自分の思うものと違っていたからといって責めることはできません。むしろ、外に出ないと気が滅入ってしまうひとに対して、外に出るな、と言うことの怖さを考えなければならないと強く感じます。
映画は『羅小黒戦記』を見ました。字幕版を見たときにはピンときていなかったフーシーの、ここからもう動きたくない、ここにいたい、逃げ回りたくないという思いに、勝手に共感していました。
2020/11/16(月)
cakesがまた炎上していました。
ツイッターでもぼちぼちつぶやきましたが、ウェブコンテンツの制作において、キャッチーさ、物事の単純化、「読者にとってわかりやすく役立つ」という目線に過剰に寄ってしまう、などはめずらしくありません(その状況を肯定しているわけではありません)。そして「人のコンテンツ化」もけして少なくない。単純にそういうもののほうがユーザーに読んでもらえたり、反応をもらえる状況があり、情報があふれている社会において、とにかく読んでもらうためのテクニックは、コンテンツを作りたい/発信したい人間のなかで絶えず交換されている。それこそ他者をコンテンツ化する行為の危険性に目をつむっている場合も多々あると感じます。
今回のことで改めて、成果以前に、社会に対する企業活動の責任を忘れてしまってはだめなのだと考えていました。当たり前のことなのに話されることは少ない。
今回炎上してしまった記事も、コンテストの受賞作とはいえ、掲載前に福祉や社会調査の専門家からあらかじめレビューを受けていたら、もっと違う表現になったのではないか、というのは希望的観測すぎるでしょうか。
cakesとnoteは運営しているチームが異なるだろうとは思います……が、運営会社は同じなんだよなあ、とはどうしても思ってしまいますし、この交換日記でもnoteに対する信頼を書いていただけになんだか苦い気持ちです。
(※2020/12/13時点ではこの交換日記はnoteにて運営されていました)
2020/11/18(水)
仕事の山場でした。今日さえ終わればいったんなんとか……みたいな気持ちで2週間くらい過ごしていたので、終わってほっとしました。家でぐったりしていたら「最近よく疲れたってつぶやいてるよ」と言われ、衝撃をうけました。そうか、わたしは疲れていたのか!!
確かに、よくお風呂に入るのをさぼりたくなると思っていました(し、実際によくさぼっていました)。仕事も在宅なのをいいことに、顔も洗わず、寝ぐせも直さずやりはじめることが増えていたので、そうか、疲れるとほんとにそういうことできなくなるんだなあと思ったり。お風呂に入って顔も洗って寝ぐせも直すひとは本当にえらい……。
そういえばTwitterのフリート機能。わたしはけっこう楽しく使っています。タイムラインに残すほどではない、こう言ってはなんですが、どうでもいいつぶやきをぼちぼちしています。しかしTwitter社はインスタグラムとほぼほぼ同じ機能を入れてしまって、サービスとしてそれでいいのだろうか。
2020/11/20(金)
会社の拠点が急遽減ってしまうことになり、そのための片付けをせっせこやっていました。
場所を減らすためには物を減らさなければならないのですが、それにも限界があり(捨てられない重要書類などは当然ながらあります)、唯一残る本社が荷物だらけになってしまいました。ここから何を減らし、何を残すかを改めて整理していかなくてはなりません。お客さんとの打ち合わせでたまたま立ち寄った同僚が「立ち上げたばかりのベンチャーみたいですね!」と笑っていました。笑いごとじゃないぞ!
2020年もあと1か月と少し。振り返ると、わたしはたまたま、本当にたまたまなんとかやれていて、そういう「たまたま」を絶えず感じていた一年でありました。仕事なくなるかもしんないっす、ハハハ、とか言いつつ働いて、なんとか失わずに今日を迎えていますが、明日はどうなるかわからないというのが、素直な気持ちです。
以前感じていた「不安」はすっかり「諦め」にとってかわり、今は専門家が発信する情報を頼りに行動するほかありません。が、これ以上はもう政治でどうにかするほかない話だ、とも思っています。
ほさきから、ひらたさんへ
2020/11/22(日)
東の魔女、という名のヒヤシンスの球根を花屋さんで見かけました。青と白の花が咲くようです。名前がいいなと思ったのですが(調べたら西の魔女、という紫系の花を咲かせる品種もありました)8個で1セットは流石に多いため、特に名前の書かれていない、ばら売りの球根を買いました。早ければ2月に花が咲きます。
第三十一回文学フリマ東京の開催日なのに、タイムラインがあまりに静かで実感がわきません。
22日が文学フリマ、23日がコミティアと、この時期は大規模な同人イベントが例年連続あるいは同日開催になっており、普段ならイベントの一か月ほど前から情報が流れてくるのですが、それも殆ど見かけなかった気がします。参加されたフォロワーさんもいますし、ハッシュタグもトレンドに入っていたようですが、ただの連休中日のように過ごしている自分にびっくりしてしまいます。
木曜日に東京都の感染者数が500人を超え、首相から静かなマスク会食の要請がされました。金曜日にはGOTOイート開始。GOTOトラベル停止の方針決定のニュースが出たのは今日の17時、文学フリマ終了とほぼ同時でした。
2020/11/23(月・祝)
本の整理をしたり公園を散歩したりしていました。東京都医師会は連休中はなるべく人に会わないようにとコメントを出しましたが、街の人出が減っているのか、正直わたしにはよくわかりません。
『羅小黒戦記』吹き替え版の勢いが凄いですね。タイムラインにも二次創作イラストや考察がたくさん流れてくるようになりました。
風息の、人と妖精の共生に関する台詞周辺の原語と吹き替えのニュアンスの差を解説するtweetをよく見ました。映画の翻訳についてここまで盛り上がっているのはわたしの記憶では『アナと雪の女王』の『Let it go』以来です。それだけ沢山のひとが観ていて大切なテーマと絡んでいるということでしょうか。
考察で見かけた、妖精会館はいわゆる華僑のネットワークがイメージソースのひとつになっているのではないか、という指摘と作品全体としてアメコミの影響も大きいのではないか、という指摘にはなるほど……となりました。そういえば映画では妖精会館側の意見を代表する「リーダー」は現れなかったな、と思います。館長はいたけれど風息と対になる描き方ではなかったし、一対一で戦った無限も一応は妖精会館側とはいえ「どちらにも属さない・属せない存在」だと思います。
2020/11/26(木)
昼休み、久しぶりに小さいうさぎを連れて外へ出ました。あちこちに咲いている山茶花のピンクが綺麗です。
火、水曜日は国民投票法改正案の審議の件でタイムラインがもちきりでした。火曜の時点では26日に審議及び採決と言われていたのが水曜日に採決はしない約束になった……と思ったら当日は維新の議員から決議の緊急動議がされ、散会となりました。首相の答弁拒否が激増しているという話もありましたがなんというか、無法地帯です。
梨木香歩『炉辺の風おと』を読み終えました。2018年4月から今年の6月まで、毎日新聞の連載をまとめたものなので後半にはコロナ禍への言及もあり、書かれている内容の今までにない距離の近さに不思議な気持ちになりました。
MRI検査を受ける時、検査音が辛いので何か音楽を掛けてほしいとお願いした際のエピソードが印象的でした。音が大きいから音楽なんて殆ど聞こえないと思いますよと告げるスタッフに、いや轟音の中、例え途切れ途切れであっても音楽が聞こえることが心のよすがになる場合もあるのだと作者は考えます。そしてそういう時に聞くのは「深すぎない」明るさのあるものがよい、と(カーペンターズが流されたそうです)。
クリスマスのアドベントカレンダーを買ったり、年明けに咲くだろう花の球根を買うことは自分にとって、来たる(あるいはとうに来ている)冬のため鳴らす音楽のひとつずつなのだと思います。それさえあれば大丈夫になれる素晴らしく立派なものはないけれど、その日一日、その時だけはちょっと気分が明るくなるようなもの。
真正面からまともに見たらやられてしまう。
コロナに関する政府の対応とそれに伴う諸々について、ずっとそう思っています。かといって日露戦争を知らなかった天文学者のように何も知らないまま生活することもできません。SNSを見る時間は以前より減りましたが、仕事のためにwebブラウザを立ち上げれば感染状況などは嫌でも目に入ってきます。
有さんの書かれていた、これ以上は政治でどうにかするしかないというのは本当にその通りで、「経済を回す」という言い回しについて、わたしはすっかり信じられなくなりました。わたしの認識ではこの言葉は東日本大震災の際、まだ物流も復活しておらずボランティアに行くのも難しい頃、これまでと同じ日常生活を続ける自分達を許すため、言い聞かせるように使った言葉でした。災害ユートピアによる幻想かもしれませんが、働き、お店で物を買い、税金を払い、それが巡り巡って困っている人達へ届くと当時は信じることができたのです。
今、タイムラインや国会前で政権批判の声を上げることにどれほど意味があるのか、正直分からなくなることもあります。でもこの状況は行政府が市民を見殺しにしているとしか言いようがない。ネットニュースで見た、雪の降るなか換気のため窓を開け続けている旭川の病院の映像が忘れられずにいます。
体制を変えたい・変えられるというより、ただ「辛い」と言いたいのかもしれません。
2020/11/27(金)
水を張ったコップの上に置いた球根は翌日から早速白い根を伸ばしています。一番長い根は5センチ近くになるでしょうか。なんか見覚えがある形状だな、と考えて、ホイミン(fromドラゴンクエストIV)のことを思い出しました。人間になりたいと願っている、回復魔法の使えるスライムです。
参加している創作企画、東京恋愛地図の参加作品が出そろいました。2020年のある一日、東京のどこかを舞台にした恋愛小説を書く企画です。2020年って切りのいい数字だよね、くらいのノリで始まったはずなのですが、2019年に想像していた2020年との差を改めて思ってしまいます。もう一つのお題である「恋愛」については素敵なもの、というよりは遠い未知の他者(を通した未知の自分)との出会いとして捉えている人が多い、気がします。それが2020年らしいのかもしれない。
わたし自身は2020年1月2日、東京駅周辺が舞台の話を書いたので箱根駅伝や一般参賀なども作中で言及されるのですが、ちょうど今日、来年の一般参賀は中止すると宮内庁から発表されました。
cakes2020コンテストの件については批判から一週間経過しましたが、未だ組織のステートメントは出されていないようです。
大賞を取ったホームレスの「おじさん達」を観察するという連載企画について、Twitterではたくさんの人が「誰でもホームレスになり得るのだから」ということを書いていたのが印象的でした。あの連載は問題ないと主張する方や、連載執筆者の方も(批判を受けてとはいえ)そう書いているのです。
ある程度以上コンセンサスを得ているらしいこの認識は大昔から常識だったわけではなく、例えばリーマン・ショックの年に行われた年越し派遣村など、貧困対策活動が知られる中から生まれてきたものではないかとわたしは思います。年越し派遣村の頃ではホームレスの方をただの怠け者と公然と言い放つ政治家がいた。就職氷河期世代が就職できないのは本人の問題だとずっと言われていた。それが専門家によって批判されること、貧困問題について様々な取組がなされ、それらが本や記事になることによって人々にコンセンサスが生まれ、政治マターにもなった。その結果もたらされた認識だと思うのです。
……にも関わらずcakesは連載開始の判断をしたのだ、とはnoteを使用している以上、書いておいてもいいかなと思ったので書いておきます。Twitterは、あっという間に流れてしまうので。
週明け火曜から12月ということで、うさぎ達がそわそわしています。職場近くのパン屋さんで買ったシュトーレンは、今週末に最初の一切れを食べる予定です。