2020/10/31 - 11/13 冬・対岸に手を振る

ひらたから、ほさきさんへ

2020/11/1(日)

昨日会っていたのに、他の話に忙しくて交換日記のことは話せなかったので、今回はそこから。

交換日記の2週間ごとのリズムにもすっかり慣れました。こうして日々のことを書き留めていると2週間でずいぶん沢山のものごとが起こるのだなあと驚いてしまいます。「東京」の話題を出した直後に『東京BABYLON』のアニメ化が発表されて、偶然なんですがタイミングが良すぎてちょっと笑ってしまいました。

「MANGA都市TOKYO」では現代や近未来としての東京だけではなく、前段としての江戸を取り扱った作品も紹介されていました。松本大洋氏の『竹光侍』は線のタッチがすてきで、単行本1冊まるまる読みたいなあ、なんて考えながら見たのをすっかり忘れていました。

yenさんの東京に関する日記を読んでいて、わたしの感覚はだいぶズレるものなのだろうなとは思いつつも、東京はたくさんの人がいるので、どこどこの誰、という定義されることが少なく、限りなく透明な存在になれるのだよな、と思っていました(土地に紐づくコミュニティに自分が参加していないだけ、ともいえますが)。それがすごく楽でしたし、いまも都市部に住むことの利点のひとつだと思っています。

地元で居場所が見つけられなくて悲しかったのに、どこの誰でもない存在になれることをよろこぶ、というのは不思議なものですよね。

東京はやさしいところわたしにも誰かの顔をかぶせてくれる

こんな短歌を作っていたことを思い出しました。

そして「楽しいけれど長く住むには適切ではない場所」というのは当たっているなとも思っていました。わたしも東京に出てきてから10年弱くらい、ずっとそう感じていました。楽しいけれど、生活はしんどかった。あんなに地元がいやで出てきたのに、どうにかして帰れないだろうかとずっと考えていました。帰ってもわたしにできる仕事など、地元にはないことはわかっていたのに。そういうかんじだったのです。

ずっと、いつか戻る場所があるということを、根づく場所があるということを、うらやましく思っていました。それは「帰属したい」という欲望なのだと思います。帰属については、雇用の話のときもそんなことを書きましたね。それは自分が持っていないからこそ、手に入れて安定したい、という希望だったのだとも思います。

そういえば、数か月ぶりに母と電話をしました。初夏に猫が亡くなり、ひと夏ふさぎこんでいたようです。「猫を迎えようと思うんだけど、どう思う?」と聞かれ、即賛成しました。

父がもうおらず、一緒に住む甥(母にとっては孫)があと1年と少しで離れた場所の学校へ進学する可能性がでてきたいま、自分以外の存在がそばにいるのはどんな助けになるでしょうか。甥の進学の話を聞き、ああ、あの家にはもう母ひとりになるのだ、と思った。甥が学校を出て、希望通りの職につけたならば、あの土地に戻ることはおそらくないでしょう。

個人的な予想では、あと数年したら、わたしに、戻ってこれないかという打診があるのでは、と思っています。今の感じだと仕事を持ったまま移動することもできそうなので、ありえない話ではありません。もしそうなったら家を今度こそリフォームしてやる気まんまんです(できるのかは謎ですが)。

結局、この交換日記をはじめたころに書いていた壁紙屋さんからは連絡はありませんでした。緊急事態宣言によって、もしかして廃業してしまったのか、などと考えましたが、調べていないので本当のところはわかりません。返信がないだけならば良いなあ、とは思っています。

2020/11/02(月)~2020/11/06(金)

日曜日の日記を書いたあと、1週間まるまる気持ちが動かずにいました。

リズムに慣れた、と書いたばかりで締め切りもやぶってしまってごめんなさい。一週間ほぼほぼ朝起きられず、のろのろと這い上がって仕事をしていました。こういうときも『sky』はできるので、はいはい、というかんじもあります。

『sky』について、わたしはいまのところ「すれ違う」ことを一番おもしろがっています。ひととき助け合っても、必ずしもフレンド(友達)としてつながるわけではない。見知らぬ誰かと必要な場面で助け合い、そしてつながることなく、お互い手を振って分かれる。その距離感のなんと心地良いことか。長くやればそれだけ固有の関係性もできてくるようですが、わたし自身は友達を増やすのが上手くはないので、さして広がりもないでしょう。ゲームが壊滅的に下手なので、つながることに積極的になれないのもありますが……それでもおもしろいのです。

これは草原で出会ったストリートミュージシャン。
ギターを弾いていたので、座って聞いていたら、
本格的に向き合って数曲弾いてくれました。

毎日クエストやキャンドルを集めるために走り回る必要がありますが、それとは別に『sky』の空間を歩き回ることが日課になりました。メジャーなルートから反れる場所はたいてい静かで、星の子を寝かせていると、どこからともなく他所の子が現れて、そこで寝だしたりする。

それは舟から岸にいるひとに向かってだったり、高台から下を歩くひとに向かって手を振る、そういうかんじに似ています。言葉がなくても通じ合える、ではなく、さして通じ合わずに在る。そしてそれをよしとしている、が近いように思います。(きっと言葉で話し始めたら「合わない」となることも多いのでしょう)

今年の2月くらいから、ツイッターを見る時間を減らしていきたいと思い、いろいろ試していましたが、ちゃんと離れるきっかけが『sky』で、なんだか自分のことを呆れています。

商業BLを追う頻度も減りました。好きな作品を読んではいますが、ジャンル全体の情報は追わなくなってきました。「知っている」ことはただそれだけなのに、どうして、「先んじた」みたいなところに価値をおいてしまったのだろう。情報通のポジションを求めることが悪いという話ではないのですが、そこは本筋ではなかった、と思っているのです。

『sky』関連のファンアートを見て、わたしよりも随分若いであろうひとたちが生み出したきらめきを前に、自分が年齢を重ねていることを改めて意識して、なにをしているのかなあと考えこんでしまいました。


ほさきから、ひらたさんへ

2020/11/10(火)

なんだか炭水化物を食べたいような、食べても満足感が微妙に足りないような気持ちが数日続いており、もしやこれは「ふゆ」というやつではないかしら、と今日になって気付きました。そういえば七十二候では先週末から立冬でした。まごうことなき冬です。

今の職場は一年のどこかで長めのお休みを取るシステムになっていて、先週はそのお休みを取っていました。基本的にのんびり過ごしていたのですが、ここ数年、この時期は切羽詰まったような気持ちで遠くへ出かけていたなと思います。

遠くへ行きたい、と思って北へ行く人と南へ行く人とに人は別れるのだと昔どこかで聞いたことがありますが、わたしはいつも北のイメージが浮かびます。あれが見たいこれが見たい、ここに行きたいというのもあるけれど、ざわざわしている頭の中が移動しつづけることで少しずつ静かになっていく、そのわずかな時間のために出かけていたという方が恐らく大きかった。

それにしてもボストンバッグ一つを抱えて車窓からの景色を眺めるあの感覚は、県内移動ではどうにも再現しきれない気がします。

2020/11/11(水)

Twitterにフリートという新機能がついたということでタイムラインが盛り上がっていました。とりあえず操作方法は理解しましたが、画面の見え方が変わったのにはまだ慣れません。

『よい移民ー現代イギリスを生きる21人の物語』(ニケシュ・シュクラ 編 / 栢木清吾 訳)を読み終えました。

英国生まれの移民2世・3世らによるこのエッセイ集の刊行は2016年。海外ニュースで知った文化盗用の問題や『Crazy Rich Asians』の盛り上がりなどにはこういう背景、思いがあるのだなと思いつつ、どうもこの本の感触には覚えがあるような気がしていました。

先週末、バイデン大統領確定に沸くタイムラインを見ながら、ああそうか『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』だ、と突然気が付きました。『ナショナル~』はポール・オースターがラジオ番組を通じてアメリカ国民から集めたエッセイ集です。人種も性別も職業も負っている歴史も何もかもばらばらの個人が己の体験・歴史について語るなかから、不思議と立ち上がってくるものがある。

911テロにより寛容と多様性を失っていったアメリカ、という見立てが背景にあると考えれば『ナショナル~』はタイトルからして国家、多様性を強さとする正しき国アメリカのための本であり、『よい移民~』とはある意味対極のものかもしれません。それでも自らの出自(heritage)をどうしようもなく踏まえながら個として語ろうとする言葉、それが集合したことで生まれる力強さを、読者のわたしは共通して感じたのだと思います。多様性、という言葉がその一語で終わらせていいような簡単な話でないことは明らかで、けれどその建前さえ存在しない状態はもっと苦しい、苦しかったという声が、アメリカの新大統領、副大統領のスピーチを契機に、週末のタイムラインには溢れていました。

……だけどわたしの住んでいる国の政府は、いえわたしは、そうした言葉をどれだけ聞いただろう、聞こうとしているだろう。

建前のない状態は苦しかったという声に感情移入しながら、こうした事柄を、わたしはいつも海外の出来事として知ってきた気がします。

移民に限らず、わたしの住んでいる国のかたちに係るような事柄は「大手の解釈」から少しずれたものに気付き、体系化していくのがとても難しい気がしています。そうしたものがあると確信し、これというキーワードを持っていないと辿りつけない。例えば図書館でそれに近いようなテーマの本棚をぼんやり眺めて気になったものを手に取り読んで……というところからはどうも自然に辿れない気がする。このあたりの知見を得たいというのもわたしがTwitterアカウントを作った動機の一つだったのですが、政治の影響もあり、ここ数年になってある側面では役立つようになってきた気がしています。

中心にあるのは恐らく歴史(国家のheritageとしての)の問題だと思うのですが、しかし歴史にも単一の、「大手の解釈」があり……。

とはいえ、そもそもすべての人間が自らの出自を敢えて踏まえ語らなくてもいいのではないか(嫌でも踏まえざるを得ないのだから)、と思ってしまう自分がいるのもまた事実です。

言葉がなく、有さん曰く「さして通じ合わずともよい」という『sky』の世界に音楽、楽器がたくさんあるというのはとても納得できることのような気もするし、不思議なことのような気もします。

2020/11/13(金)

ここ数日の寒さに体もこわばっていたのが急に暖かくなりました。最後にひとつ残った薔薇の蕾も、ようやく外側の花びらが開いてきました。淡いピンクの花を咲かせる薔薇なのですが殆ど白に近く、陽に透けるとうっすらと淡いピンクを帯びて見えます。

東京都のcovid-19感染者数は水曜から木曜の一日で約百人増加しました。木、金は同水準での推移となりましたが、増加傾向にあるのは明らかです。

緊急事態宣言が解除されGOTOキャンペーンが始まってから、不安と楽観のダブルスタンダードを自分は都合よく使い分けて来た自覚がありますが、そのスタンダードがこれまたわかりやすく揺らいでいるのを感じます。もっと何か(何を?)すれば良かったのか。そもそも平日は公共交通機関を利用して出勤し、土日も外出している私は、何かあったら即座に「緩んでいる」方に分類される気もします。問題は、体制であるはずなのに。

内定を複数貰ったけれど日本人が怖いから(借金を抱えて)帰国するというベトナム人技能実習生の写真をタイムラインで見かけました。今年の青果類の高騰は技能実習生の不足も理由の一つだそうです。

来年のオンラインの予定が一つ入りました。初めての来年の予定です。先の予定があるのは良いな、とくりかえし思います。

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