2021/4/10 - 4/24 一か月くらい走って / 北の桜
404 not foundから、ほさきさんへ 2021/4/12(月) ドタバタしすぎて1週間なにも書けませんでした。お待たせしてしまってすみません。 昨日は宝塚歌劇の雪組公演『f f f-フォルティッシッシモ-』『シルクロード~盗賊と宝石~』の大千秋楽の、家での配信での観劇にお付き合いいただき、ありがとうございました! 久しぶりに会えてうれしかったです。今朝になって、いただいた薔薇の水をかえていたら、やわらかな色合いに癒される気持ちになりました。 昨日1990年から2000年前後の話をしたためか、さっきお弁当を買いに出たときに、ふっと過去の自分をどう救うのか、という考えが頭に浮かびました。中学生のとき、わたしは東京に憧れて、それはコンテンツにはじまり、街にもファッションにも憧れて、いつか東京に行くんだと心に決め、いまではそれが叶ったわけなのですが、「東京に行く」ことしか考えてこなかったのだなとも思ったのです。 当時聞いていたラジオの話などが出ましたが、わたしの地元ではAM局の放送はちゃんとは入らず、地元のFM局か、NHK-FMくらいしか聞けるものはありませんでした(それでも良い情報源としてよく聞いてはいました)。AMでやっていた声優さんの深夜ラジオをなんとか聞きたくて、ほぼほぼ雑音の放送にふとんのなかでじっと耳を澄ませた夜のことを思い出したりしていました。 だけれど今はもうradikoやPodcastがあります。有料プランへの加入も必要だったりしますがいまや全国各地のラジオをどこにいてもクリアな音で聞くことができたり、時間にとらわれず面白い番組にもふれることができます。テレビアニメも、高い料金を支払ってケーブルテレビに入らなくてもインターネット(とネットフリックスやTVerなどのサービス)があれば最新のコンテンツにも触れられる時代になりました。それだけでなくYoutubeなどもあります。 そういうことが叶うようになった今、過去において切実に、東京発信のものを聴きたい、見たい、触れたい、と思ったわたしはすでに幽霊のようなものです。過去にかなわなかったことを「あのころに触れたかった」と言ってもせんないことで、かつもうすでに問題は解決されている、解決できる状態にある、とわかってもなお、なぜ、「羨ましい」という気持ちが消えないのか。中学生や高校生だったころのわたしをいまの...