2021/3/6 - 3/19 ささやかな祈り / 開花前線
404 not foundから、ほさきさんへ 2021/3/6(土) アーサー・ビナード著の『 もしも、詩があったら 』という本を読んでいました。 現代詩の講座に通いだしてから、近現代に書かれた詩をまとめたアンソロジーや現代詩を取り扱った新書をぼちぼち読んでいます。女性の取り扱いが少ないと感じることもあり、女性の詩人の作品だけを集めて編まれた本なども手に取っていますが、それはまた今度話します。 『もしも、詩があったら』は詩作や日常において「もしも」「if」がつれてくる想像力や、実際にどのような作品が作られてきたかに焦点をあてた本ですが、それぞれの章で英語で書かれた詩と、それを日本語に翻訳したものが掲載されていました。 わたしは英語はめっぽうわかりませんが、英語の詩を音読したときの響きについては一読者として感じるものがあります。ただ翻訳された詩のみを読んで、元の詩が表現しようとしたことについてどれだけ感じられるんだろう、翻訳される前の詩にもあわせて触れたほうがいいだろうとは感じました。 とはいえ、yenさんが言っていた「翻訳という行為」のなかで「いつもこぼれ落ちるなにか」について、いままでわたしはあまり考えたことがありませんでした。各国の詩人が書いた詩を、原文で触れた経験はほぼなく、翻訳された詩を楽しく読んでいただけでした。 目の前の世界を言葉にする段階でこぼれ落ちるものがある、と感じても、言語を訳すという行為は随分と遠いところにあって……わたしは随分「日本語」だけの世界に生きているのだなあと思ったりしていました。 2021/3/7(日) あったかくなったり寒くなったり。寒暖の差が堪えます。 野村喜和男、城戸朱理・編『 戦後名詩選1(現代詩文庫・特集版) 』をコタツと同化しながら読んでいました。これまでにどんな詩人がいて、どんな詩が書かれてきたのかを知りたくて読み始めたはずですが、最終的には単純に好きな詩を探すために眺めていました。こういうアンソロジーは浅く広く、浚っていくのにすごく助かります。いくつか気に入ったものはノートに書き写し、詩の造りをなぞるようなことをしていました。子どもが文字を書く練習をしているみたいなものですね。 講座で現代詩を、視覚によっても味わう方法を習ったりします。だけれどそれはとても特殊な読み方、味わい方であるとも感じます。知ったら知っただけ広...